旧江の島海岸ロータリー |
第2部 海岸地域(8/31) |
3 旧・江の島海岸ロータリー(現・江の島入口交差点) 5月の東浜・自転車とオートバイ |
昭和30年代の初めの頃は、まだ自家用自動車が普及途上であったので、 行楽日には自転車とオートバイで来る人 が目立った。 その後、オートバイが急速に増え、大きな爆音を轟かすので、当時「雷族」 と呼ばれていた。 |
5月の休日の人出 写真12(昭和37年5月) |
5月初旬の天気の良い行楽日の人出は非常に多かった。 「小田急」「江ノ電」の電車、または「バス」で来た人々で、 帰途に つく時間帯などにはロータリーの周辺は人で埋まる程であった。 (写真はロータリーの江ノ島側から腰越方向を見ている) |
江ノ島私鉄観光案内所 写真13(昭和35年5月) |
片瀬川を背にしてロータリーに面して、「江ノ島パブリック・レストハウス」という細長い建物があり、 片瀬橋際が私鉄観光案内所、隣がトイレ、反対 の端が売店になっていた。 この地にバス停をもつ江ノ電、京浜急行、東急、神奈中、箱根登山の各社の窓口があり、 「江ノ電」のみが毎日係員 を出していた。 |
すばな(洲鼻)通り入口 写真14(昭和35年8月) |
「江ノ電」の「江ノ島駅」から海岸まで続いている道がこの通りである。 写真はロータリーへの出口の所であり、 当時、「江ノ島銀座通り」と商店街では名付けていたが、 昔を知る人は「すばな通り」の方を普通に使っていた。 |
夏のロータリーの風景 写真15(昭和37年8月) |
夏の休日のロータリーの一風景。 手前は「すばな通り」からのびる横断歩道を海側へ向かう人。 右の少人数の待つバス停は「藤沢駅ゆき」でバ スが出た直後。 左側の行列は「鎌倉駅ゆき」のバスを待つ人々である。 |
バスのお客さんの誘導整理 写真16(昭和38年7月) |
7月、8月の好天の土日の片瀬海岸の人出は大変なもので、「小田急」「江ノ電」の電車の他に、 バスを利用する 人も多かった。 バスは藤沢・鎌倉・大船・戸塚・横浜・辻堂・茅ヶ崎・平塚・大磯の各駅との間にあって、 ロータリーでの人の誘導整理は大仕 事であった。 |