「小田急江ノ島線開通80年今昔(3)ー長後駅ー」
長後駅は、小田急江ノ島線内藤沢市の最初の駅です。昭和4年4月1日の江ノ島線全線開通に伴い開設された駅で、最初は「新長後」と命名されていましたが、昭和33年4月1日に「長後」に改称されて現在に至っています。長後駅はホームが4本あり、快速急行・特急の通過交換駅しての役割があります。乗降客は平成元年から減少しています。
「小田急江ノ島線開通80年今昔(3)ー長後駅ー」 |
長後駅は、小田急江ノ島線内藤沢市の最初の駅です。昭和4年4月1日の江ノ島線全線開通に伴い開設された駅で、最初は「新長後」と命名されていましたが、昭和33年4月1日に「長後」に改称されて現在に至っています。長後駅はホームが4本あり、快速急行・特急の通過交換駅しての役割があります。乗降客は平成元年から減少しています。 |
駅名の由来 |
渋谷庄の長後は高座郡の長であったらしく、「長郷」が長後になったと言う説と入道した領主の渋谷重国が長後坊と名乗ったのに由来するとの二説がある。弘安五年(1282)に一遍上人が鎌倉入りのとき「ながさご」の地に三泊した記録があるが、これは長後のことであろう。長後駅西口を出て右手に行くと四つ角に仙元塚(富士塚)の碑がある。その前を南に走るのが大山道で、約1キロ先の永明寺のあたりが昔の長後村の本村であった。 仙元塚(富士塚と永明寺入口 仙元塚を右方向に向かい小田急線長後駅新宿より踏切を渡った先の十時路が八王子道と大山道の追分で宿駅を形成していた。 長後駅新宿側踏切と大山道と八王子道の追分 |
一方、駅の地籍は、六会村大字下土棚である。このように複雑な場所なので、駅名をつけるには、気を使い、地元と話し合った末、長後の名を採用、ただし頭に「新」の字を冠した。その後、六会、長後とも藤沢市に吸収されたのですっきり「長後」になった。 |
長後駅の今昔
1952年(S27)のホームと2010年(H22)のホーム 1952年(S27)の写真と2010年(H22)を比較した写真です。ホームの屋根も安全装置もかなり整備され快適になっています。ホームとか西口、東口の階段また特に東口は、バスロータリが3年ほど前に全面整備され西口よりも広く全体にアクセスが改善されている。 |
西口バスロータリーと東口バスロータリー 乗降客推移比較(全体と長後10年毎) 残念ながら、10年毎の乗降客の推移から見ると平成元年をピークに少しずつ減少の状態で全体増加の傾向に長後駅は減少している。 |
長後駅周辺の産業 最後に長後駅周辺は、駅に降り立ち10分も歩くと大規模な果樹園、野菜畑、田んぼ等があり、藤沢市の地産地消を振興することによりかなり活性化できる要素があるのではないかと期待している。また長後商店街などの活性化も地産地消が発展することにより振興が図れるのではないかと期待できる。 (参考文献 小田急株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。) |
(市民記者 TOMU 2010年2月) |