鵠沼海岸は、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により海水浴場として最適との折り紙をつけられました。学習院院長だった乃木大将も毎夏学生をつれて海水浴に訪れました。
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小田急江ノ島線開通80年今昔(4)-鵠沼海岸駅- |
鵠沼海岸は、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により海水浴場として最適との折り紙をつけられました。 |
★ 鵠沼海岸駅の由来 海水浴場の発祥の嚆矢は大磯の照ケ崎と言われていますが、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により鵠沼海岸は海水浴場として最適との折り紙をつけられました。 鵠沼海岸駅の昔と今とを写真で見てみましょう。 |
開通当時の鵠沼海岸駅と今の鵠沼海岸駅 |
★ 乗降客の推移
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乗降客は、平成に入りほぼ横ばいの状態が続いています。 |
★ 鵠沼海岸駅の周辺 鵠沼海岸駅周辺は明治の中頃から始まった開発によって、南北に砂丘列に沿って道を通しました。 また、東西には鎌倉街道として使われたと思われる道を南北の道につなぎ、今の鵠沼海岸の商店街鵠沼銀座→マリンロードへと変遷をたどりました。 駅の出入り口は一か所で海岸寄りにあり、駅を出て左すぐの道を右に行くと「丸政料理店発祥の地」という 「丸政料理店発祥の地」の碑と県立湘南海岸公園の入り口 県立湘南海岸公園を訪れた日は強風注意報が発令されていて大変風の強い日でしたが、5~6人のサーファーがサーフィンを楽しんでいました。ビーチバレーコートはさすがに楽しんでいる人はいませんでした。
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湘南海岸公園には「平和の像」が昭和40年3月に建立されていて、戦争の御霊を祀り、戦争の無い世界の創造を謳った次の文が刻まれていました。 未来を象徴する筋肉たくましい若人が高く挙げた右手の拳に平和の鳩を受け止め希望の空を見つめています。 この台座の中には英霊のお名前が納められている事を書き添えます。 (参考文献 小田急株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。) |
(市民記者 TOMU 2010年4月) |