小田急江ノ島線開通90年今昔(4)-鵠沼海岸駅-
1 鵠沼海岸駅の由来
海水浴場発祥の嚆矢は大磯の照ケ崎と言われていますが、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により、鵠沼海岸は海水浴場として最適との折り紙をつけられました。学習院院長だった乃木大将も毎夏学生を連れて訪れ、鵠沼は次第に海岸寄りに発展しました。鵠沼海岸駅という駅名は、このような背景のもとで同じ鵠沼地域に位置する本鵠沼駅より海岸に近いという立地条件から名づけられ、1929年4月1日に開設されました。
*2 鵠沼海岸駅の昔と今
鵠沼海岸駅の昔と今とを写真で見てみましょう。開業当時は駅のすぐ前からのどかな松林が広がっているのがわかります。2004年には駅構内にエレベータが設置されました。
3 乗降客の推移
乗降客は1988年以降、ほぼ横ばいの状態が続いています。
4 鵠沼海岸駅の周辺
鵠沼海岸駅周辺は、明治の中頃から始まった開発で南北に砂丘列に沿って道を通しました。また、東西には鎌倉街道として使われたと思われる道を南北の道につなぎ、鵠沼海岸の商店街鵠沼銀座からマリンロードへと変遷をたどりました。駅の出入口は一か所で海岸寄りにあり、駅を出て左すぐの道を右に行くと「丸政料理店発祥の地」という黒大理石の碑があります。そこを左に曲がり、2筋目を右にまっすぐ住宅街を行くと国道134号線に出ます。そこにある地下道をくぐると県立湘南海岸公園の入口階段があり、まっすぐに行くと海岸に着きます(この間、約5~600メートル)。
「丸政料理店発祥の地」の碑と県立湘南海岸公園の入り口
湘南海岸公園には「平和の像」が昭和40年3月に建立されていて、戦争の御霊を祀り、戦争の無い世界の創造を謳った次の文が刻まれていました。「未来を象徴する筋肉たくましい若人が高く挙げた右手の拳に平和の鳩を受け止め希望の空を見つめています。この台上に仰ぎみる像は、日中戦争から太平洋戦争へと長い戦争を経験した藤沢市民と藤沢市によって昭和40年3月に建てられました。明治以来、国の礎になった英霊を顕彰し、戦争の悲惨と不幸を再び繰り返してはならないという悲願が込められています。しかし年を経た今日、地球上にはなお戦争の不安が絶えません。藤沢市遺族会は創立50周年に当たり改めて行く末の平和を強く祈念しつつこの碑を建てました。この台座の中には英霊のお名前が納められていることを書き添えます。
(参考文献 小田急株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。)
(市民記者 TOMU 2010年4月 更新2020年3月*の箇所 大石)