「藤沢今昔」(10)藤沢橋・藤沢本町
昭和の藤沢と現在を対比した「藤沢今昔」シリーズ、10回目は藤沢橋・藤沢本町 界隈です。
目次 「藤沢今昔」~藤沢橋・藤沢本町 界隈の移り変わり~ | | 昭和の藤沢と現在を対比した「藤沢今昔」シリーズ。10回目は、藤沢橋と藤沢本町 界隈です。なお、「昭和の藤沢」の写真は、市制50周年記念歴史写真集「ふじさわ」、ニュースは語る「20世紀の藤沢」に掲載されている藤沢市所有の写真を参照させていただきました。 | 遊行寺坂を下って、藤沢橋交差点を右折して、小田急藤沢本町駅方向に向かう道路は、現在国道467号線と呼ばれていますが、昭和38年に藤沢バイパスが開通するまでは国道1号線でした。歴史をさかのぼれば、この辺りは「藤沢宿」として栄えた場所です。徳川家康が藤沢の地に宿場を設置したのは、慶長6年(1601)のことでした。江戸時代中期以降、一般の庶民がさかんに、大山や江の島詣でなど旅行に出かけるようになった為、藤沢宿も多いに賑わいました。 | 藤沢町は明治41年(1908)高座郡の藤沢大坂町、鵠沼村、明治村が合併して成立。藤沢市として1940(昭和15)年に市制を施行しました。当初は町役場時代からの庁舎、現「藤沢公民館」の場所を使用していましたが、1951(昭和26)年、朝日町に新たな庁舎を建設、場所を移転しました。尚この界隈は、藤沢の中心として他の行政機関も多数設置されていました。 | | |
| | 写真は、小田急線藤沢本町駅から程近いところにある「伊勢山」を撮った写真です。「伊勢山」は標高50m位の小山で、昔はここより南側は砂丘地帯となっていて、湘南海岸を見晴らすことができました。山頂にある「伊勢山公園」は藤沢市第1号の公園であります。 | (初掲載 2010-07-20 更新2020-07-15 yukisan) | | | | |
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