2013年度 第1回交流会
大庭城址公園から日大まで・・・バラを楽しむウォーク
(2013年5月30日)※雨天中止
湘南大庭市民センター✿→(12分)大庭城址公園・バラ園見学✿→(10分)引地川親水公園✿→(8分)大庭神社→(5分)成就院→(25分)佐波神社→(6分)自性院→(5分)石川天神社→(8分)日本大学構内・バラ園見学→日大博物館(時間があれば・・・)解散
トイレ:✿ ※歩行距離:約5km
集合:湘南大庭市民センター
・JR辻堂駅北口②③番から湘南台駅行き、慶應大学行きなどで10分、大庭小学校前下車徒歩1分
・小田急線湘南台駅西口③番からバス辻堂駅行き(12:00/12:15)で約25分、ライフタウン中央下車徒歩2分
・JR藤沢駅北口⑦番から乗車、バス大庭隧道経由湘南ライフタウン行で約25分、大庭小学校前下車徒歩1分
時間:13:00集合
解散:小田急線六会日大前 16:00頃予定
懇親会:16:00~日大構内のレストランスエヒロ(本館ガレリア)で、打ち上げ(希望者のみ)
http://www.brs.nihon-u.ac.jp/facilities_campus/commons.html
持ち物:飲み物・雨具・ゴミ袋等持参。歩きやすい服装と靴でご参加ください。
大庭城址公園
湘南ライフタウン開発に伴う埋蔵文化財発掘調査の結果から、旧石器時代には、既に人々の生活が始まっていたことが明らかとなっていますが、文献では、延長5年(927)の『延喜式』に大庭神社、承平年間(931-38)の『和名抄』に大庭郷の名があります。 大庭御厨(おおばみくりや)内に大庭景宗が“大庭の舘(たて)”とも呼ばれる城を造り、軍事拠点として重要な割を果たしたと想定されます。
石橋山の戦いで源頼朝に勝ったものの、巻き返しで大庭氏は勢力を失い、筑後に逃れたという。 戦国時代には扇谷上杉氏の家臣である築城の名手太田道灌が、鎌倉と糟屋館(伊勢原市)の中間地点となる地に、最新の技術を取り入れ築城工事を行ったとされるが、相模に侵攻してきた北条早雲によって落城してしまう。早雲は大庭城を大改修したが、玉縄城を築城したので利用価値は低くなり、後北条氏が滅ぶと廃城になった。現在も戦国時代の大規模な空堀や土塁などが残っており、大庭城址公園として保存され、市内有数の桜の名所となっている。周辺は湘南ライフタウンとして開発されたが、二番構や駒寄など大庭城由来の地名が残っている。
大庭御厨
大庭の御厨(みくりや)は、12世紀初め~15世紀半ばに鎌倉権五郎景政が開発し、伊勢神宮に寄進した荘園。その範囲は現在の藤沢市南半部から茅ヶ崎市全域に及びました。小糸・台谷などの神明社は伊勢神宮の所領経営の拠点だったと考えられています。 1144年(天養元年)には、源義朝が乱入し収奪を行っている。
大庭神社 《藤沢市稲荷998》
荏原製作所西に鎮座する。
周辺には宿庭(鵠沼)、代官庭(福田)、家中庭(葛原)、上庭、中庭、下庭(菖蒲沢)など 「庭」のつく地名が多い。それらの地域は平坦な場所を指している。大庭も広大な平坦地という 地形が地名となったものであろう。創建以降、近世までの社伝は何も存在しない。
安永6年(1777)10月に神祇伯資顯王によって配神大庭景親が勧請され、天明3年(1783)秋に諏訪部定太郎、山崎六郎兵衛包高らの願によつて菅原道真が配祀されたという。
神仏分離まで大庭神社の裏手の成就院が管理していた。
成就院 《藤沢市大庭8157》
大庭神社にあった梵鐘の銘文から、以前は宝染院と称し大庭神社の別当寺であったという。
藤沢宿の感応院の末寺だった。本尊は、藤沢市内でも珍しい愛染明王。開基は、山名伊豆守時氏で、創建は文和年間(1352~56年)頃と考えられている。本堂前には弘法大師の石像が置かれ、相模国準四国八十八箇所三十四番札所となっている。
また、山門の脇には、家内安全の仏として奇妙な木の彫物がありますが、案内によると鎌倉の裏山から出た椿の古木の根だったもので、掘り出して皮を剥くと鶴・亀が現れ裏面には男女のシンボルも出てきたので、出産時の縁起の良い古木として大日如来を彫って奉納されたそうです。
境内には「六尺藤」と呼ばれる野田フジがあり、樹齢約80年を迎えるそうで、花の時期にもっとも長くなると150Cmにもなるそうです。椿は1本の木から赤とピンクの花が咲いていました。
佐波神社 《藤沢市石川139》
郷土神奈川県の地図上で縦に三等分した東の辺りに東京の町田から南下する川があります。 川の名を境川と称し、町田のあたりでは武蔵の国と相模の国とを分けており、県内に入ると鎌倉郡と高座郡の境を流れています。この川の両岸に左馬神社・鯖神社・佐波神社・佐婆神社などの名で源義朝を祭神とした神社が点々と10社あります。「全国で11社しかなく、高座郡に6社、鎌倉郡に5社」とは鎌倉の歴史研究家の芳賀氏が書いているそうです。
石川村が 作つくられたのは、 後北条氏(ごほうじょうし)の時代( 中世・ 戦国時代の 小田原の武将)にこの地を与あたえられた「 石川六人衆」と 呼よばれる人々が江戸時代になって農業を進めるために開拓してから、と 考えられています。
★ 西山土佐(にしやまとさ)★ 内嶋和泉(うちじまいずみ)★ 佐川図書(さがわとしょ)★ 田城加賀(たしろかが)★ 市川越後(いちかわえちご)★ 伊沢伊織(いざわいおり) この6人の名前は、 地名・ 人名として 一部残のこっています。―石川小学校の資料参照
自性院 《藤沢市石川3562》
江戸時代は、旗本中根氏が明治維新を迎えるまでの300年間知行していたといわれ、自性院は、石河山自性院龍見寺という浄土宗の寺です。浄土宗を開いた法然上人に帰依した石川の禅門、渋谷七郎入道道遍がこの地に住んでいたことから石川と呼ばれるようになったと伝えられています。石川とは、小石が多い底の浅い川という意味があり、この辺りは古相模川が作った相模野礫層の砂利が露出しています。
石川天神社 《藤沢市天神町2-15》
「亀井野」の西側、「石川」にある天神社は、1971年から行われた区画整理事業を機に、神明社と合祀されたもので、1977年に拝殿や鐘楼などが建立された。西に向かい引地川の低地に下った所にある自性院の創建は1611年で、開基は地頭の中根氏である。境内には、重厚な本堂を取り囲むようにシダレウメなどの庭木や庭石、宝筐印塔などの石塔類が並べられ、厳粛な雰囲気が漂っている。
日本大学生物資源科学部付属農場 バラ園
バラの種類は、200種類1000株。この付属「バラ園」は、職員さんやバラ専門職の方が手入れしています。花の見ごろは、5月中旬から6月中旬頃まで、秋は10月中旬から11月中旬まで。閉園時間は午前10時~午後4時までです。バラ園は無料で自由に入れます。研究の為のバラ園ですが、花の愛好家に快く開放してくれています。
日本大学生物資源科学部博物館 《0466-84-3800(代)/0466-84-3892(直通)》
家畜や野生動物の大型骨格や剥製をはじめ、昆虫・樹木・植物などの標本、古農具や漁具などさまざまな展示をしています。神奈川県教育委員会から「博物館相当施設」の指定を受けており、学生の勉学だけでなく、地域住民にも利用されています。
博物館URL :http://www.brs.nihon-u.ac.jp/facilities/museum.html