辻堂地区は、かつて大山参りや、その帰り道、江の島へ向かう旅人が往来して賑わったといいます。
地区探訪(その13)辻堂地区
藤沢市内のいろいろな地区を順に紹介しています。市内最終第13回は、辻堂地区です。
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辻堂の古道とチョコット歴史 | |||||||||
辻堂村の中心であった「辻堂四つ角」から50m、諏訪神社の7月27日の例大祭には、「辻堂四つ角」を取り巻く東町、西町、南町、北町に伝わる人形山車が街中を練り歩く。 | |||||||||
光明真言道場道 | |||||||||
宝泉寺(南の寺)は、別名「光明真言道場」と呼ばれ、江戸時代には、大山詣の人々が帰りに江の島に参詣する途中で立ち寄ってお参りした。風土記には、藤沢宿に関連して、東海道、大山道、鎌倉道などがメインストリートとして記載されているが、多くの人々が往来する道として「光明真言道場道」が取り上げられている。これは、現在のJR辻堂駅を東西に挟むように2本の道が知られていて、その1は、現在の国道1号線二ツ家(二ッ谷)から南下して四つ角へ向かう鎌倉道と呼ばれる道筋、その2は、茅ヶ崎市赤羽から辻堂駅西側を通り、南の熊の森権現社を経て四つ角に至る小和田道が知られている。 | |||||||||
辻堂四つ角 | |||||||||
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辻堂の今とチョコット散歩 | |||||||||
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公園がチョコット嬉しい | |||||||||
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辻堂のチョコットこれから | |||||||||
辻堂の砂丘地帯は江戸時代から大砲の実射場、軍用地として長く使用されていた。戦後1960年には、民間に解放されて、学校や公園、住宅団地ができて今日の街の原型ができた。当時は、まだ大きな篭を背負った農家の人も見かけたが、今やその面影はなく、まさに湘南随一の住宅地となっている。 | |||||||||
取材と記事 Arbol Viejo 2013/5/28 |