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趣 味・歴史

上杉謙信の祖、長尾一族 (大船)

2020年12月1日  (itazu)
上杉謙信の祖といわれる長尾一族の史跡を訪ねました。
長尾氏は、平安末期から鎌倉時代の大庭氏、俣野氏、梶原氏などと同様、大庭御厨を開発した鎌倉景正を祖とする一族です。当時、相模には、坂東八平氏の子孫が、開発領主となってその地名を名乗る武士団を結成していました。
下図は、その武士団のMAPです。
1源頼朝挙兵時の藤沢近隣の武士団
 

長尾台御霊神社
長尾一族は、JR大船駅近くの長尾台に砦を築いています。
(大船駅から柏尾川沿いに戸塚方面に歩き笠間大橋手前左の高台にあります。)
 
現在は、長尾台御霊神社境内に「長尾氏居住館跡」と書かれた案内板があります。

写真上:ゆかりの城跡として残されている小さな笹山
写真下:長尾台から戸塚方面の風景、見晴らしが抜群。
高台をさらに登ったところに城址だったと言い伝えられている笹山が農地の間に残されています。
見晴らしのよい柏尾川沿いの高台で、砦としての最適な地だったことがうかがわれます。


ここにあった長尾定景一族の墓石群は、現在、鎌倉市植木にある久成寺(くじょうじ)に移されています。
 

植木の久成寺(くじょうじ)にある長尾定景一族の墓石群
頼朝が挙兵した時、長尾定景は、大庭、俣野とともに平家側について戦い、石橋山の合戦で一旦勝利しますが、盛り返した頼朝に敗れ、三浦氏の囚われの身となります。
定景は勇猛な武人として知られ、その後、実朝を暗殺した公暁(2代将軍頼家の子)を討ち取るなどして、幕府の御家人となりますが、三浦氏が宝治合戦(ほうじがっせん)(1247年)で北条氏に敗れると、長尾一族もともに滅ぼされます。

上杉謙信公 祖、長尾定景一族群塔
その後、生き残った一族が、南北朝期、関東管領の上杉に従い、室町時代には、代々、山内上杉氏の家宰となり、やがて、越後、武蔵、上野、伊豆の4国の守護代となります。
戦国期、越後の長尾景虎が、主家上杉をしのいで実権を握り、山之内上杉から姓を譲られ、関東管領となり、北は出羽、南は上野、西は加賀に至る広大な領土を有した大名(上杉謙信)となります。

このような一族の流れから、久成寺(くじょうじ)の長尾定景一族の墓のある碑には、「上杉謙信公 祖、長尾定景一族群塔」と刻まれています。
   

久成寺
久成寺は日蓮宗ですが、長尾定景が法華経の持経者だったことから、ここへ墓石群が移されたそうです。

(記事作成にあたっては、「相模のもののふたち」(永井路子著、「武士の誕生」関幸彦著、「山川歴史小辞典」など参照しました。)

記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2020年11月30日