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趣 味・歴史

歴史探訪⑯寿福寺 : 鎌倉五山(その1)

2021年11月21日  (itazu)
「鎌倉五山」とは禅宗(臨済宗)の、最高の寺格を持つと時の幕府に認められた五つの寺をいいます。
この制度は、南宋で行われていたものを日本に導入したもので、室町時代、3代将軍足利義満は、京都と鎌倉それぞれに五山を官寺とし、鎌倉は①建長寺②円覚寺(③寿福寺④浄智寺⑤浄妙寺と定めました。
建長寺、円覚寺、寿福寺が、京都よりも歴史が古く、なかでも寿福寺が、臨済禅寺最古です。 

寿福寺山門、山門横に「寿福混合禅寺」と刻まれた石柱がある
<栄西が寿福寺の開山>
開祖達磨によって6世紀前半に中国に伝えられ禅宗は、鎌倉時代初期に、入宋した、栄西によって、臨済禅宗が伝えられました。
2代将軍源頼家や北條政子の帰依を受け、幕府や朝廷の保護のもと、密教を広めるかたわら、禅宗の振興に努めました。
1200年には、北條政子から寄進を受けた扇谷の土地に寿福寺を建て、1202年には京都に建仁寺(開基源頼家)を建てました。

参道と中門、美しい道
<栄西は茶を広める>
また、中国から茶を持ち帰って、『喫茶養生記』を著し、日本に茶を飲む風習を広めました。
(栄西は、実朝の病気平癒のため。「喫茶養生記」を献じたいわれています。)

栄西の孫弟子にあたる道元は、1223年宋に渡り、曹洞宗を日本に伝え永平寺を建て、日本の開祖となりました。臨済宗が貴族や武士階級に広まったのに対し、曹洞宗は庶民の間に浸透したといわれます。

中門の木柵越えに見る仏殿
<大陸からの多くの文化がもたらされる>
その後、1253年に5代執権北條時頼が、蘭渓道隆を南宋から迎え日本で最初の本格的な禅宗寺院建長寺を開山し,1282年8代執権北條時宗が、無学祖元を南宋から迎え円覚寺を建てました。
建長寺と円覚寺は、日本の臨済宗の中心として、禅と武士を結びつける大きな役割をはたしてきました。
とくに幕府が五山の制を設け禅宗寺院を手厚く保護したことが、中国への留学僧が激増し、大陸からの多くの文化がもたらされることになりました。

北条政子の墓
<北条政子と実朝の墓と伝えられる五輪塔>

寿福寺は、源頼義・義家父子が奥州征伐の時勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした亀ヶ谷と呼ばれる源氏家伝来の地で、義朝などの旧邸もありました。

裏山に、北条政子と実朝の墓と伝えられる五輪塔があります。

実朝の墓

創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは1278年頃と推定されています。 
1247年及び1258年の火災で全焼し、南北朝時代の頃、復興されました。



<参照資料>「鎌倉の寺社122を歩くを歩く」(PHP新書)、日本の歴史5「躍動する中世」(小学館),ウイキペディアなど
 
  

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