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趣 味・歴史

歴史探訪(24) 和賀江嶋(わかえじま)
ー現存する最古の築港遺跡(鎌倉)ー

2022年5月20日  (itazu)
今回は、鎌倉の材木座海岸の岬にある築港遺跡、和賀江嶋(わかえじま / わかえのしま)を訪ねます。
                                
 

国の史跡指定を記念した記念碑(材木座海岸の南の岬、逗子との境にあります)

和賀江嶋(わかえじま / わかえのしま)は、鎌倉の材木座海岸の岬にある築港遺跡です。
(材木座海岸付近は、和賀江津と呼ばれていました)
北条泰時が執権をつとめていた1232年に築かれ、1196年平清盛が築いた日宋貿易の拠点の大和田泊の経が島(きょうがしま)に比肩される築港です。
経が島は既に失われているため、和賀江嶋は現存する築港遺跡としては最古のものになります。
干潮時には岬の突端から200メートルほどの石積みが見られます。


中世鎌倉の海上交通や物流の拠点


この辺りは、遠浅で荷のの上げ下ろしが難しく、大風や波浪で難破することがあったため、1232年勧進僧の往阿弥陀仏(おうあみだぶつ)が港を作ることを幕府に求め北条泰時の援助で完成したものです。
中世鎌倉の海の玄関口として、海上交通や物流の拠点となっていました。
これまで、日宋貿易で唐船が来航できるのは、清盛が築港した経ヶ島までで、輸入品の鎌倉への輸送・販売は国内の流通網に乗せて行われ直接鎌倉まで航行することはありませんでした。

遺跡の石のがれきの中に石杭の残骸のようなものが見えます
実朝の唐船建造には先見性あり?

1216年源実朝が、東大寺の再建に携わった南宋の工人、陳和卿(ちんなけい)に頼んで唐船建造をさせたことがありました。由比浦は、巨大な船が出入りできる海浦ではなく、船を進水させることができず失敗しています。
この実朝の経験を、泰時が学んでいたのでしょうか。
実朝の唐船の失敗は、将軍失政の象徴となっていましたが、15年先の北条泰時の時代を見通す先見性があったともいえそうです。

(参照資料:「源氏将軍断絶」坂井孝一著(PHP新書)、現地案内板、石碑)
(鎌倉市サイトの史跡案内「和賀江島」はこちら
 
 

記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2022年5月20日