畠山地蔵 逗子駅を出て、隣接する葉山町の長柄交差点でバスを降りる。東へ延びる広い道を逗葉新道方向へ二十分程歩き、川久保の交差点・・・
続・湘南のお地蔵さま-13 『畠山地蔵』
2018年1月5日 (記事:江ノ電沿線新聞1月号)
『畠山地蔵』 葉山町 長柄 中島淳一
逗子駅を出て、隣接する葉山町の長柄交差点でバスを降りる。東へ延びる広い道を逗葉新道方向へ二十分程歩き、川久保の交差点すぐ先を左に入ると真言宗仙光院がある。室町時代の創建と伝わる由緒ある寺で、十一面観音を本尊とする。
その本堂左側の小さなお堂の中に祀られているのが畠山(はたけやま)地蔵で、像高は一六五・五センチとほぼ等身大で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。表情も理知的で全体のバランスもよく、衣文の流れも美しい鎌倉時代中期作の地蔵尊と考えられ、葉山町の重要文化財に指定されている。
このお地蔵さまは、近隣の長徳寺という寺に永く安置されていたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐や、度重なる火難・災害に翻弄され、平成一五年にこの仙光院にたどり着いたのである。
葉山町は鎌倉時代初期の武将畠山重忠が、衣笠城の三浦一族を攻めるために築城したところと伝わるが、この畠山地蔵の名は、この像が重忠の念持仏であったことから名付けられたと言われている。
源頼朝に従い、その右腕とまで言われた名武将だが、最後は謀略により殺されたと伝わる。その実直さゆえの不幸に、お地蔵さまもさぞ、やるせない思いをしたことであろう……。
その本堂左側の小さなお堂の中に祀られているのが畠山(はたけやま)地蔵で、像高は一六五・五センチとほぼ等身大で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。表情も理知的で全体のバランスもよく、衣文の流れも美しい鎌倉時代中期作の地蔵尊と考えられ、葉山町の重要文化財に指定されている。
このお地蔵さまは、近隣の長徳寺という寺に永く安置されていたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐や、度重なる火難・災害に翻弄され、平成一五年にこの仙光院にたどり着いたのである。
葉山町は鎌倉時代初期の武将畠山重忠が、衣笠城の三浦一族を攻めるために築城したところと伝わるが、この畠山地蔵の名は、この像が重忠の念持仏であったことから名付けられたと言われている。
源頼朝に従い、その右腕とまで言われた名武将だが、最後は謀略により殺されたと伝わる。その実直さゆえの不幸に、お地蔵さまもさぞ、やるせない思いをしたことであろう……。
※江ノ電沿線新聞2018年1月号掲載コラムをえのぽに転載しました。
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2018年5月8日