宿場町藤沢の歴史あれこれ「宿場町藤沢の歴史あれこれ」と題して、歴史研究家、平野雅道氏の講座がふじさわ宿交流館で昨年6月より月一回連続で開催されている。
宿場歴史講座ー講師:平野雅道(歴史研究家)
2018年3月1日 (itazu)
「宿場町藤沢の歴史あれこれ」と題して、歴史研究家、平野雅道氏の講座がふじさわ宿交流館で昨年6月より月一回連続で開催されている。藤沢宿の東海道での役割機能、規模や町並みの形成や発展・消滅まで約269年間の歴史を様々な角度から追っています。
平野雅道氏は、藤沢市坂戸町旅籠屋かまくらやの16代目で、遺されている様々な資料を読み解きながら、火災で資料がほとんど残されていないといわれる藤沢宿の再現に研究を注力しておられる。
第9回 2月16日「街道の施設~本陣・旅籠・茶屋」の講義では、約90名近い参加者で席は満杯でした.。
蒔田本陣跡の案内図↑ 本陣の見取り図↑
講座では、蒔田本陣を大名行列が利用した時の実際を見取り図などの資料に基づき、詳細な説明とともに、大名行列などが利用する場合、什器、寝具、トイレなどは殆ど持ち込みで、休憩や素泊まりが多かったなどの、興味深いお話を伺うことができた。
藤沢御殿跡の案内図↑
藤沢宿のこの地は、鎌倉時代より、時宗の総本山の遊行寺があり諸国遊行の重要拠点でした。慶長6年(1601)に東海道の整備されるとともに江戸日本橋を起点とした東海道五十三次の第6の宿場として藤沢宿が設置されましたが、宿場が整備されるまでは藤沢御殿と呼ばれる将軍専用の宿泊所が置かれ、17世紀前半に徳川家康・秀忠・家光の三代に利用されました。
寛永12年(1635)に参勤交代が制度化されると、大名の宿泊施設として本陣などが整えられます。藤沢宿は、大鋸・大久保・坂戸の3町で構成され、江の島や大山への分岐点として賑わい、天保14年(1843)に人数4089、家数919、うち本陣・脇本陣が坂戸町に1軒ずつ、旅籠屋45と記録されています。
上図は、平野氏を中心に再現された藤沢宿の復元図であるが、ところどころ遺されている遺跡を結びつけながら、往時をしのぶことができる貴重な研究資料である。(無断複写転載は禁止されております。)
講座は、5月まで後3回残されているが、教科書や時代劇などで抱いているイメージとは全く違う往時の生活の実際を知ることができ、宿場の歴史に興味のある方には見逃せない講座である。
藤沢宿の歴史,文化等と触れ合う場となっている「ふじさわ交流館」
2018年5月8日