養命寺の「木造十二神将立像」藤沢市重要文化財に指定されたのを記念して公開されたので拝観して来ました。十二神将とは夜叉(鬼神)大将で、各7,000名の鬼神を率いて、
養命寺の「木造十二神将立像」
2018年 3月28日 (hiramechan)
2月に、藤沢市重要文化財に指定されたのを記念して公開されたので、拝観して来ました。
十二神将とは夜叉(鬼神)の大将で、各7,000名の鬼神を率いて、薬師如来やその信者を守護しています。もともと干支との関係はないのですが、平安時代末頃から十二支への割り当てが始まったとされていて、その割り当て、形、持ち物などはいくつかのパターンがあります。
十二神将とは夜叉(鬼神)の大将で、各7,000名の鬼神を率いて、薬師如来やその信者を守護しています。もともと干支との関係はないのですが、平安時代末頃から十二支への割り当てが始まったとされていて、その割り当て、形、持ち物などはいくつかのパターンがあります。
左から、子:毘羯羅(びから)大将、丑:招杜羅(しょうとら)大将、寅:真達羅(しんだら)大将
左から、卯:摩虎羅(まこら)大将、辰:波夷羅(はいら)大将、巳:因達羅(いんだら)大将
左から、午:珊底羅(さんちら)大将、未:頞儞羅(あにら)大将、申:安底羅(あんちら)大将
左から、酉:迷企羅(めきら)大将、戌:伐折羅(ばさら)大将、亥:宮毘羅(くびら)大将
十二神将の画像:撮影「井上久美子」、資料提供「藤沢市郷土歴史課」
十二神将の画像:撮影「井上久美子」、資料提供「藤沢市郷土歴史課」
十二神将は薬師如来を護る護衛隊の将【藤沢市郷土歴史課資料より抜粋】
養命寺の十二神将は、各像のスタイルから見るに、『覚禅抄』(13世紀初めの真言宗の図像集)が引く「白宝口抄」の十二神将を参考に作成されたようで、十二支への割り当ては、毘羯羅(びから)大将を子、招杜羅(しょうとら)大将を丑とする。
神奈川県内では、伊勢原の日向薬師の十二神将像(国重文)が有名であるが、こちらは、毘羯羅(びから)大将を亥、招杜羅(しょうとら)大将を戌とする逆順の割り当てをする『覚禅抄』が引く「世柳布像」による。
詳しいことは、藤沢市のホームページをご覧ください。(藤沢市のホームページへへ)
養命寺の十二神将は、各像のスタイルから見るに、『覚禅抄』(13世紀初めの真言宗の図像集)が引く「白宝口抄」の十二神将を参考に作成されたようで、十二支への割り当ては、毘羯羅(びから)大将を子、招杜羅(しょうとら)大将を丑とする。
神奈川県内では、伊勢原の日向薬師の十二神将像(国重文)が有名であるが、こちらは、毘羯羅(びから)大将を亥、招杜羅(しょうとら)大将を戌とする逆順の割り当てをする『覚禅抄』が引く「世柳布像」による。
詳しいことは、藤沢市のホームページをご覧ください。(藤沢市のホームページへへ)
胎内にある銘分や修理札
立像の胎内には銘文や修理札が状態良く保存されていて、1521年(永正18年)から明治初期におよぶ数回の修理年代や、それに携わった鎌倉や江戸の修理仏師の名が記されています。
また、この宮昆羅大将像の胎内には「山中 宮本」姓の人が「め」と書いた紙がおさめられていました。天井絵には「山中 宮本八右エ門」(下写真、中段右から2列目)とあるので、その同族の亥年生まれの人が目の病気の快癒を願って奉納したものと、推測されるそうです。
また、この宮昆羅大将像の胎内には「山中 宮本」姓の人が「め」と書いた紙がおさめられていました。天井絵には「山中 宮本八右エ門」(下写真、中段右から2列目)とあるので、その同族の亥年生まれの人が目の病気の快癒を願って奉納したものと、推測されるそうです。
「山中 宮本八右エ門」と書かれた天井絵
養命寺は、元亀元年(1570年)に宗賢院三世暁堂元龍和尚が創建し、延享年中(1744年~1747年)に住僧であった大拙梅樹和尚が中興。国指定重要文化財の薬師如来座像をはじめ、ふじさわ七福神の布袋尊や本堂天井絵などの見所が多い由緒あるお寺です。【以上、養命寺のパンフレットより】
国指定重要文化財の薬師如来座像の脇にある2体の「木造日光菩薩立像」と「木造月光菩薩立像」も2017年2月に藤沢市指定文化財に指定されています。
国指定重要文化財の薬師如来座像の脇にある2体の「木造日光菩薩立像」と「木造月光菩薩立像」も2017年2月に藤沢市指定文化財に指定されています。
公開日は春のお彼岸の中日、珍しく藤沢にも雪が降る日でしたが、東京から来られた方もいました。手を伸ばせば触れる距離に置かれていて、皆さん説明を聞きながら興味深げに拝観し、写真に収めていました。
2018年5月8日