近代茶室と仰木魯堂善行雑学大学で「近代茶室へのいざない~仰木魯堂の茶室を中心として」という講演を聴講しました。
近代茶室へのいざない~仰木魯堂の茶室を中心として
2018年7月26日(取材・記事:Tanbakko)
善行雑学大学で「近代茶室へのいざない~仰木魯堂の茶室を中心として」という講演を聴講しました。講師は、東京都市大学准教授で近代建築やデザイン史が専門の岡山理香氏。岡山准教授は藤沢市都市景観審議会委員を委嘱されていて、藤沢市にもゆかりのある方です。
講演に耳を傾ける聴講生
茶室は茶の湯を行なう場で、亭主がお客を招いて茶をふるまいます。茶の湯は15世紀・室町時代に村田珠光によって始められました。その頃から、今日「茶室」と呼ばれる空間が生み出されました。
講演の前半では「茶の湯と茶室」と題して、茶の湯の三要素(点前、道具、茶室)、型の伝承と家本制度、茶道具、茶事の流れ、茶室の構成など、基礎的な事柄についてお話しいただきました。
「点前」「道具」「茶室」が茶の湯の三要素
亭主がお客を招き茶をふるまう「茶の湯」を行なう場が茶室です
「炭点前」⇒「懐石」⇒濃茶(主菓子)⇒薄茶(干菓子)という茶事の流れの説明に続いて、「松の木棚 茶事」、小田原の横井夜雨別邸の「弥生の茶事 廂庵」、「高照山盛岩寺の大寄せ茶会」、東京都市大学の「武蔵庵」、犬山市の「博物館明治村」など、各所で行われた茶事が紹介されました。
犬山市の「博物館明治村」:椅子に座って点前を行なうことができます(①)
講演の後半では、仰木魯堂が手がけた茶室を中心に、近代の茶室についてスライドで説明いただきました。
仰木魯堂は、1863年筑前国遠賀郡中間村(現在の福岡県中間市)に生まれ、明治から大正・昭和にかけて数寄屋建築家として名をはせました。自らも数寄者であった魯堂は、政財界の人々の住宅を数多く手がけました。神奈川県にも魯堂の手がけた茶室がいくつか残されています。
講演で紹介された魯堂作の茶室は、箱根の旧有賀長文山荘「岫雲荘」(松の茶屋)、箱根の「白雲堂茶苑」、鶴見総持寺の「倚松庵」、「音羽護国寺の茶室群」などです。そのほかに木村清兵衛が手がけた茶室もいくつか紹介されました。
「岫雲荘(松の茶屋)」:深い山の中の一軒家のような雰囲気を出しています。田舎屋風に建てるのが当時の流行でした。(②)
鶴見総持寺の「倚松庵」:貴人口(右)から立ったまま茶室に入れるようになっています。広々として明るいことが魯堂の茶室の特徴です。(③)
音羽護国寺の仰木魯堂が手がけた月光殿、多宝塔、艸雷庵(④)
茶室を研究しているうちに自分たちでも二畳敷き茶室を作って茶事を催しました。どのような場所でも茶事を催すことが出来ます。(⑤)
千利休による「茶の湯」の神髄をあらわした言葉です
【講演を聞いて】
茶室は小間と広間がありその広さも二畳から八畳までいくつかあること、茶室という部屋と露地という庭がセットになっていること、近代茶室は空間の広がりなどの工夫がこらされていることなどを学びました。仰木魯堂は初めてその名を知りましたが、茶室や茶の湯が少し身近に感じられるようになりました。
茶室は小間と広間がありその広さも二畳から八畳までいくつかあること、茶室という部屋と露地という庭がセットになっていること、近代茶室は空間の広がりなどの工夫がこらされていることなどを学びました。仰木魯堂は初めてその名を知りましたが、茶室や茶の湯が少し身近に感じられるようになりました。
① ~⑤の画像は東京都市大学 岡山理香准教授より提供していただきました。無断転載を禁止します。
2018年7月26日