続・湘南のお地蔵さま伊勢原駅北口よりバスで成瀬中学校前で下車。交番先でガード下の道へ降り左に入ると三体のお地蔵さま「白金地蔵」が仲良く並んでいる。
続・湘南のお地蔵さま(21)『白金地蔵』
2018年9月1日 (記事:江ノ電沿線新聞9月号)
『白金地蔵』伊勢原市高森 中島淳一
白金地蔵
伊勢原駅北口よりバスに乗り成瀬中学校前で下車。二百メートル程手前の交番先でガード下の道へ降り、左に見える信号を左に入ると三体のお地蔵さま「白金地蔵」が仲良く並んでいる。
現在安置されるお地蔵さまは平成八年一一月に再建されたお像で、建立の由来については、この地の住人茂田半左ェ門が江戸時代の万延元年(一八六〇)に子宝に恵まれることを祈願し建立したと地蔵尊の傍らに書かれている。ただそれよりも古い文政一一年(一八二八)に同じ人物により建立された記録もあり、いずれにしても長い間地元の人々や多くの旅人に信仰されているお地蔵さまである。
この前を通る道は〝矢倉沢道〟、〝大山道〟と呼ばれる歴史ある道で、再建前の地蔵尊には道しるべの文字も刻まれていたようである。
白金地蔵の名前の由来は定かでないが、『新編相模国風土記稿』という江戸時代の地誌の中に、この地区の坂の名前として〝白金坂〟という名前があり、また今も〝白金〟という小字名も残ることから、これらに何か関係があるのかもしれない。
白金(プラチナ)の名前を冠に頂く三体のお地蔵さま。何度も移転を重ね厚志家の尽力でここを安住の地とする。今後は大山詣りの重要な道がここにあったことを、言葉なき語り部として伝えていってほしい。
現在安置されるお地蔵さまは平成八年一一月に再建されたお像で、建立の由来については、この地の住人茂田半左ェ門が江戸時代の万延元年(一八六〇)に子宝に恵まれることを祈願し建立したと地蔵尊の傍らに書かれている。ただそれよりも古い文政一一年(一八二八)に同じ人物により建立された記録もあり、いずれにしても長い間地元の人々や多くの旅人に信仰されているお地蔵さまである。
この前を通る道は〝矢倉沢道〟、〝大山道〟と呼ばれる歴史ある道で、再建前の地蔵尊には道しるべの文字も刻まれていたようである。
白金地蔵の名前の由来は定かでないが、『新編相模国風土記稿』という江戸時代の地誌の中に、この地区の坂の名前として〝白金坂〟という名前があり、また今も〝白金〟という小字名も残ることから、これらに何か関係があるのかもしれない。
白金(プラチナ)の名前を冠に頂く三体のお地蔵さま。何度も移転を重ね厚志家の尽力でここを安住の地とする。今後は大山詣りの重要な道がここにあったことを、言葉なき語り部として伝えていってほしい。
2018年9月5日