湘南のお地蔵さま『乙女地蔵』伊勢原駅南口よりバスで十分程。小さな地蔵堂に乙女地蔵が安置される。お顔も体も磨り減り修理の傷痕も痛々しいお地蔵様である
続・湘南のお地蔵さま-23 『乙女地蔵』
2018年11月06日 (記事:江ノ電沿線新聞11月号)
『乙女地蔵』伊勢原市岡崎 中島淳一
『乙女地蔵』
伊勢原駅南口よりバスで十分程の大句(おおく)で下車。さらに百五十メートル程進み、地下道が見えるあたりで右折し、さらに右へと曲がる。すると正面に建立されたばかりの小さな地蔵堂があり、乙女地蔵が安置される。幾年月も風雨に晒され、お顔も体も磨り減り、また修理の傷痕も痛々しいが、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ通例のお姿のようである。
この地蔵には悲しい物語が伝わる。昔この地の大地主だった者の息子が、自宅で働くお手伝いの若い娘を嫁にしたいと考えた。しかし古い封建社会の世ではそれも許されず、親類は娘に、嫁にふさわしい働き者である証に、この地の五反田という広大な田(畳約六百枚分)の田植えを、日のあるうちにすべて一人で済ませれば結婚を認めようと無理難題を娘に課した。
今にも沈みそうな太陽が娘に味方し、東へと向きを変え、あと少しというところで無念にも娘は息絶えた。その死を悼み供養のために作られたのがこの乙女地蔵だという。
元々は五反田近くに祀られたというが、現在は芳圓禅寺の門前で風雨をしのぎ安置される。宅地開発の進むなか、五反田の名を知る人もわずかとなったが、この悲しい物語は乙女地蔵が今もこの地に在ることをその証として、これからも語り継がれていくであろう。
江ノ電沿線新聞社のホームページ⇒ こちらから
この地蔵には悲しい物語が伝わる。昔この地の大地主だった者の息子が、自宅で働くお手伝いの若い娘を嫁にしたいと考えた。しかし古い封建社会の世ではそれも許されず、親類は娘に、嫁にふさわしい働き者である証に、この地の五反田という広大な田(畳約六百枚分)の田植えを、日のあるうちにすべて一人で済ませれば結婚を認めようと無理難題を娘に課した。
今にも沈みそうな太陽が娘に味方し、東へと向きを変え、あと少しというところで無念にも娘は息絶えた。その死を悼み供養のために作られたのがこの乙女地蔵だという。
元々は五反田近くに祀られたというが、現在は芳圓禅寺の門前で風雨をしのぎ安置される。宅地開発の進むなか、五反田の名を知る人もわずかとなったが、この悲しい物語は乙女地蔵が今もこの地に在ることをその証として、これからも語り継がれていくであろう。
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2018年11月6日