日本はなぜアメリカと戦ったのか善行雑学大学で「日本はなぜアメリカと戦ったのか」という興味深い講演を聞きました。
善行雑学大学「日本はなぜアメリカと戦ったのか」
2018年11月5日(取材・記事:Tanbakko)
善行雑学大学で「日本はなぜアメリカと戦ったのか」という興味深い講演を聞きました。講師は、松延歴史塾主宰の松延康隆氏。善行雑学大学には2回目の登壇です。前回の講演テーマは古代史(「知られざる天皇制の歴史」~女帝の時代と天皇制の成立~)でしたが、今回はアジア・太平洋戦争への道をテーマにした現代史でした。
日本が日米開戦に踏み切った1941年は、日中戦争が始まって4年が経過していました。約100万の兵力を中国戦線に投入し泥沼の消耗戦を続けていた当時の日本、その国力はほぼ限界に達していました。
アメリカとの国力の差は歴然としていて、アメリカは日本のGDPの約12倍、石油生産量は570倍もの規模を誇っていました。機械類、石油、鉄類などの戦争に必要な軍事物資もアメリカからの輸入に頼っているという状況でした。
満州事変から対米英開戦に至る主要な歴史事項について概括したあと、日本はなぜ圧倒的に国力に差があったアメリカとの戦争に踏み切ったのか?という主題へと話が進められていきます。
軍事物資の大半をアメリカからの輸入に依存(レジュメより抜粋)
1941年に陸軍は各国(アメリカ・イギリス・ドイツ・日本)の経済抗戦力分析を行なっています。通称「秋丸機関」による分析です。有沢広巳、中山伊知郎、武村忠雄など多くの経済学者が集められました。
経済抗戦力分析の結果、対米英戦争の選択をめぐる結論は、「現状維持よりは開戦した方が勝利の可能性がわずかながらある」というものでした。
対米英開戦の選択をめぐって(レジュメより抜粋)
ドイツの分析を担当した武村忠雄氏が、当時の有力論壇誌「改造」に、独ソ戦が長期化するとドイツの抗戦力は急激に低下するという論文を発表しており、経済抗戦力分析の成果は世の中にも広く知られていました。
ホワイトボードを使って当時の国際関係を説明
各種の資料から明らかなことは、軍部の指導層で対米英戦争に勝利できると考えていた人は誰もいなかったということです。しかし、勝利の展望のないまま、いわば自然災害に巻き込まれるかのように無謀な戦争に突入していく情勢がいかにして生じたのか?
最終的な国家意思を決定する場としての「政府・大本営連絡会議(御前会議)」での議論を紹介していくなかで、日本の「国家意思決定システム」の致命的な欠陥について話が進められていきます。
多くの聴講生の前で熱く語っていただきました
日本の国家意思決定システムの致命的な欠陥とは、戦争するかどうかを最終的に誰が決めるか、ということが不明確であったということです。これは、明治憲法の持つ構造的な欠陥と言えます。明治憲法では、主権は天皇にありましたが、一方で神聖不可侵=無答責の存在でもありました。これは、軍事上・政治上の責任を天皇は負わないということであり、御前会議でも天皇が発言して自分の意見を述べることはなかったそうです。
主権の存する天皇が軍事上・政治上の責任を負わないという「国家意思決定の無責任体制」こそが、自然災害に巻き込まれるがごとく勝利の展望のない戦争に突入していった要因であったと結論付けて、講演は締めくくられました。
天皇は軍事上・政治上の責任を負わない「無答責」の存在(レジュメより抜粋)
【講演を聞いて】
『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著)という本を読んだことがあります。内閣総理大臣直轄の総力戦研究所が“模擬内閣”で机上演習を行ない、日米戦争必敗を予測したことを描いています。本講演で紹介された「秋丸機関」による経済抗戦力分析の結論も、対英米戦争に勝つ見込みは極めて乏しい、というものでした。しかし当時の政府や軍部の指導層はこれらの調査・分析結果を無視して、勝利の展望のないままに対米英戦争に突入しました。この根底には、国家の意思決定における究極の無責任体制があったということです。歴史上の大きな教訓として記憶に留めておくことが大切だなと思いました。
『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著)という本を読んだことがあります。内閣総理大臣直轄の総力戦研究所が“模擬内閣”で机上演習を行ない、日米戦争必敗を予測したことを描いています。本講演で紹介された「秋丸機関」による経済抗戦力分析の結論も、対英米戦争に勝つ見込みは極めて乏しい、というものでした。しかし当時の政府や軍部の指導層はこれらの調査・分析結果を無視して、勝利の展望のないままに対米英戦争に突入しました。この根底には、国家の意思決定における究極の無責任体制があったということです。歴史上の大きな教訓として記憶に留めておくことが大切だなと思いました。
2018年11月5日