善行雑学大学「まちづくりとトイレ」
講師の高橋名誉教授は「市営地下鉄1号線」「馬車道計画」「吉田橋復元」「野毛計画」「開港広場」「山下公園通り」「山下公園拡張計画、海岸柵、ベンチ」をはじめ、いくつかの都市整備のデザインに参画してきました。この分野の草分けの仕事で苦労も多かったとのことです。
馬車道ガーデンストリート
開港広場
人が集まるところにはトイレが必要で、トイレが無ければ人は集まりません。そしてトイレは「安全」と「清潔」が必須条件であり、都市デザインとも密接な関係があります。
1985年当時、公衆トイレは「汚い」「くさい」「暗い」「こわい」という“4K”の代表でした。公衆トイレを何とか綺麗にしようと「日本トイレ協会」を発足させて活動を開始、いまや日本の公衆トイレは世界に誇れるようになりました。
横浜は近代公衆トイレの発祥の地です。開港期の横浜では立小便する人が多く、外国人はその行為を嫌いました。明治4年(1871年)には4斗樽を使った路傍便所も作られましたが、これは江戸時代からあったものです。浅野総一郎は神奈川県から融資を受けて「公同便所」63か所を明治12年(1879年)に作りました。これが日本で初めての近代公衆トイレでした。
1980年代に入って横浜市は全国に先駆けて、当時としては斬新で清潔な公衆トイレを作り、全国の都市の模範となりました。
日本の公衆便所のルーツは桃山時代
横浜は近代公衆トイレの発祥の地
日本列島は地震・台風など災害が多発する地域です。特に、南海トラフ地震と首都直下地震は30年以内に80%の確率でやってくると言われています。大災害発生とともに水道・下水・電気なしの「原始時代」に戻ってしまいます。食料品の備蓄はしていても、トイレの備蓄をしているのはたったの15%強です。「簡易トイレ」「携帯トイレ」の備蓄を進めていざという場合に備えることが求められています。
最後に講師が設計監修に携わった「東名高速道路日本平PA」と「新東名高速道路清水PA」のお手洗い作品を紹介して講演を終了しました。「新東名高速道路清水PA」のトイレ作品は、日本トイレ大賞(内閣府)を受賞しました。
東名高速道路日本平PA
新東名高速道路清水PA(日本トイレ大賞を受賞)
横浜のまちづくりの話からトイレ談義まで内容豊富な講演でした。コラムで詳しくは触れませんでしたが、日本のトイレの歴史も興味深いものがありました。日本の公衆便所のルーツは桃山時代にまで遡れます。宣教師フロイスは「欧州に比べて清潔」とその著書に記しているそうです。
日本トイレ協会のHP(https://j-toilet.com/)を拝見しましたが、シンポジウムや各種研究会、グッドトイレ推進運動など多彩な活動が行われています。トイレというのも奥が深いものだなあと思いました。