モース博士の日本初臨海実験所善行雑学大学で『モース博士の江の島臨海実験所が結ぶ時空の縁』という講演が行われました。
善行雑学大学『モース博士の江の島臨海実験所が結ぶ時空の縁』
2018年12月25日(取材・記事:Tanbakko)
善行雑学大学で『モース博士の江の島臨海実験所が結ぶ時空の縁』という講演が行われました。講師は日本大学生物資源科学部特任教授で農学博士の廣海十朗氏です。今年設立された(社法)湘南健康長寿研究会の副代表理事としても活躍中で、健康寿命の延伸を模索しています。
大森貝塚の発掘で有名なエドワード・S・モース博士は日本考古学の祖として有名ですが、もともとは動物学者で研究の対象は腕足類でした。自身の研究対象生物であるシャミセンガイなどの腕足動物の収集を目的として1877年6月に来日しました。モース博士の来日した1877年の日本は、西南戦争の真っ最中の時でした。
江の島臨海実験所は日本初、東洋初、そして太平洋岸では世界初
モース博士が1877年7月、江の島に臨海実験所を設け、8月までの1ヶ月あまりシャミセンガイをはじめとする海洋生物の採集・研究を行ったことはあまり知られていません。この江の島の臨海実験所は日本初、東洋初、そして太平洋岸では世界初のもので、ここから日本における近代的な生物学・動物学が誕生しました。このことは藤沢市史の名誉ある歴史として強く刻まれるべきことです。
Study nature, not books! 臨海実験所の必要性・重要性を説く
モース博士は「真の学問・研究に必要なのは権威(=本)ではなく、自らの観察と実験」との信念から臨海実験所の必要性・重要性を説きました。その結果、1886年12月に東京大学三崎臨海実験所が誕生し、現在の相模湾の海洋生物研究発展の礎が築かれました。
江の島に水族館、海洋博物館、海洋研究所を設置する構想を推進したが実現せず
モース博士の来日5年前にイタリアのナポリに臨海実験所と水族館がともに作られ、水族館の入場料収入を実験所の運営費に充当していました。モース博士は、日本でも収益をあげながら研究活動を行うことの必要性を説き、水族館を併せ持つ臨海実験所をつくることを弟子の石川千代松博士(モース博士の講義を翻訳した「動物進化論」を発刊。東大農学部教授)に強く勧めました。石川博士は1926年に「江ノ島水族館新設構想」、1932年に「水族館、海洋博物館、海洋研究所を江の島に設置する趣意書」を作成し、実現に向けて奔走しましたがこの時は実現しませんでした。
日本初の近代的水族館が江の島に誕生
モース博士来日から77年目に、研究所的な性格を持つ日本初の近代的水族館が江の島に誕生しました。1954年にオープンした江の島水族館です。江の島水族館はその後「新江ノ島水族館」として生まれ変わり、“えのすい”の愛称で親しまれる国内有数の水族館となっています。
江の島に「海洋総合博物館」を!! 藤沢市民の声が必要です!
モース博士は日本の生物学、人類学、考古学の礎を築くとともに大森貝塚・縄文土器を発見し、また明治10年代の日本人の生活や家屋などを欧米に紹介しました。また日本の伝統絵画、工芸等の保存に貢献し、日本の陶器や民具などのコレクションを残しました。葛飾北斎を英語で初めて紹介したのもモース博士です。モース博士の願いであった臨海実験所や水族館も日本各地に実現されました。
一方、実現されていないものもあります。それは博物館です。廣海教授は、2020年東京オリンピック後に、セーリング会場である江の島の元神奈川県立女性センター跡地に「海洋総合博物館」を設立することを藤沢市民とともに目指したいと述べて講演を締めくくられました。
【講演を聞いて】
“湘南の皆さん、モース博士といえば大森貝塚ではなく江の島の臨海実験所ですよ!!”“先ずは、善行雑学大学の受講生の皆さまからモース物知りに博士に!!”ということで、モース博士の数々の活動や業績、モース博士の江の島臨海実験所が結ぶ時空の縁についてお話しいただきました。この短いコラムですべてをお伝えできないのが残念です。
モース博士に関する副読本は下記の通りです。いずれも藤沢市図書館に蔵書されています。関心のある方は是非お読みいただければと思います。
2018年12月25日