特別展「源実朝とその時代」
没後八百年を記念して源実朝の特別展が鎌倉国宝館にて開催されている。1月27日は、実朝が八幡宮社頭で暗殺された実朝忌である。

特別展「源実朝とその時代」ー鎌倉国宝館
2019年1月27日 (itazu)
没後八百年を記念して源実朝の特別展が鎌倉国宝館にて開催されている。
会期2019年1月4日(金)~2月3日(日)
会期2019年1月4日(金)~2月3日(日)

実朝は、1219年1月27日、甥である公暁の手にかかり、鶴岡八幡宮社頭において28歳で落命した。本年2019年は1月がまさに実朝没後800年にあたる。
実朝は、12歳の若さで鎌倉幕府の第三代将軍に就任し、祖父の北条時政や母 政子らに補佐・後見されながらきたこともあって、これまで、主体的に幕政に関与するよりも、蹴鞠や和歌などを嗜み、「金槐和歌集」等を編む文化人の側面が強調される傾向にあったが、実際は、成長に伴って幕府の首長としての自覚を強く持ち、将軍職を推進した政治家で、神仏を深く信仰して寺社の保護者でもあったといわれる。(展示案内による)
実朝は、12歳の若さで鎌倉幕府の第三代将軍に就任し、祖父の北条時政や母 政子らに補佐・後見されながらきたこともあって、これまで、主体的に幕政に関与するよりも、蹴鞠や和歌などを嗜み、「金槐和歌集」等を編む文化人の側面が強調される傾向にあったが、実際は、成長に伴って幕府の首長としての自覚を強く持ち、将軍職を推進した政治家で、神仏を深く信仰して寺社の保護者でもあったといわれる。(展示案内による)

今回、実朝の全体像を理解していくうえで、様々な側面から展示がなされている。
実朝の坐像(写真上)をはじめ、
◆父、頼朝にかかわる、頼朝像、頼朝が鶴岡八幡宮に奉納した太刀、弓矢など(国宝)
◆母、北条政子が、実朝の病気平癒を祈ったと言われている薬師如来像
◆「喫茶養生記」を進呈した栄西の、坐像、および「喫茶養生記」の写本
◆実朝が日常稔侍し礼拝されたとされるし阿弥陀如来
◆実朝が創建し、宋文化への憧れを表現していたとされる大慈寺跡の出土瓦など
(大慈寺は室町時代に廃れたといわれ現在は全く痕跡がない。)
◆実朝が公暁に暗殺される場面の武者絵、吾妻鏡の写本、首塚の木造五輪塔など。
実朝の坐像(写真上)をはじめ、
◆父、頼朝にかかわる、頼朝像、頼朝が鶴岡八幡宮に奉納した太刀、弓矢など(国宝)
◆母、北条政子が、実朝の病気平癒を祈ったと言われている薬師如来像
◆「喫茶養生記」を進呈した栄西の、坐像、および「喫茶養生記」の写本
◆実朝が日常稔侍し礼拝されたとされるし阿弥陀如来
◆実朝が創建し、宋文化への憧れを表現していたとされる大慈寺跡の出土瓦など
(大慈寺は室町時代に廃れたといわれ現在は全く痕跡がない。)
◆実朝が公暁に暗殺される場面の武者絵、吾妻鏡の写本、首塚の木造五輪塔など。
◆父、頼朝にかかわる、頼朝像、頼朝が鶴岡八幡宮に奉納した太刀、弓矢など(国宝)


◆母、北条政子が、実朝の病気平癒を祈ったと言われている薬師如来像

◆「喫茶養生記」を進呈した栄西の、坐像、および「喫茶養生記」の写本

明庵栄西坐像(寿福寺)

喫茶養生記(寿福寺)
◆実朝が日常稔侍し礼拝されたとされるし阿弥陀如来

◆実朝が創建し、宋文化への憧れを表現していたとされる大慈寺跡の出土瓦など
(大慈寺は室町時代に廃れたといわれ現在は全く痕跡がない。)
(大慈寺は室町時代に廃れたといわれ現在は全く痕跡がない。)

大慈寺跡河原出土瓦(鎌倉国宝館)
◆実朝が公暁に暗殺される場面の武者絵、吾妻鏡の写本、首塚の木造五輪塔など

頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年(イイクニつくろう鎌倉幕府)に生まれ、1219年鶴岡八幡宮社頭で悲劇的な最期を遂げるまでの実朝のドラマティックな人生の遺品を、この八幡宮境内の国宝館で閲覧できる今回の特別展には、感慨深いものがある。
1月27日は実朝忌、実朝はこの日、自らの死を予想するような和歌
「出(いで)て去(い)なば 主(ぬし)なき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」
を詠んでいる。境内にはすでに紅梅が咲いていた。
1月27日は実朝忌、実朝はこの日、自らの死を予想するような和歌
「出(いで)て去(い)なば 主(ぬし)なき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」
を詠んでいる。境内にはすでに紅梅が咲いていた。

尚、本展示の鎌倉国宝館の公式サイトはこちら
→http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/28tennjikai.html
→http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/28tennjikai.html
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。
2019年1月26日
