国際法から見た戦争と平和条約善行雑学大学で『国際法から見た戦争と平和条約』~日ロ平和条約とは何か~を聴講しました。
『国際法から見た戦争と平和条約』~日ロ平和条約とは何か~
2019年8月5日(取材・記事:Tanbakko)
第242回善行雑学大学の講演テーマは、『国際法から見た戦争と平和条約』~日ロ平和条約とは何か~でした。講師は善行雑学大学会員の志村秀夫氏。2002年の『国際法から見た北方領土問題』を皮切りに、『国際法から見た』シリーズの講師を8回つとめ、今回で9回目の登場です。
講演テーマは、『国際法から見た戦争と平和条約』~日ロ平和条約とは何か~でした。
伝統的な国際法では、戦争は宣戦布告などの戦意表明によって始まり、平和条約の発効で終結します。「戦争」と「戦争に至らない武力行使」は、戦意表明の有無で区分されます。戦争の終了は平和条約(講和条約)の発効でなされます。
平和条約の一般的な内容は「戦争の終了、外交関係の回復、領土処理、捕虜交換、賠償問題、戦前条約」などですが、必須項目はありません。
平和条約の一般的な内容は「戦争の終了、外交関係の回復、領土処理、捕虜交換、賠償問題、戦前条約」などですが、必須項目はありません。
国際法上の戦争開始と終了についての説明(本画像は志村秀夫氏作成のレジュメより転載しました)
1952年のサンフランシスコ平和条約は相手国55ヶ国中48ヶ国との間で結ばれた片面講和でした。ソ連との戦争終結はさらにずれ込みました(1955年時点では日ソは戦争状態)。1955年6月から1956年10月まで「日ソ平和条約交渉」が行われました。鳩山一郎首相は任期中の対ソ国交回復を決意していましたが、日ソは領土問題で対立しました。
日ソは領土問題で対立
交渉中の条約名称も「平和条約」→「基本条約」→「交換公文」→「共同宣言」と変遷し、最終的には平和条約の名を避けて「共同宣言」となりました。
1956年10月19日「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」が調印され、両国の議会でも承認されて1956年12月に発効しました。但し、共同宣言9項で「平和条約交渉(=領土交渉)」を継続することになりました。
1956年10月19日「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」が調印され、両国の議会でも承認されて1956年12月に発効しました。但し、共同宣言9項で「平和条約交渉(=領土交渉)」を継続することになりました。
日ソ共同宣言は領土問題を除くすべての平和条約案件の内容で構成されており、まぎれもなく国際法上の平和条約と言えます。
日ソ共同宣言はまぎれもなく国際法上の平和条約(本画像は志村秀夫氏作成のレジュメより転載しました)
共同宣言9項の「平和条約」の中身は「領土」のみであるにもかかわらず、領土決着前に「平和条約」を結ぶべきとする「おかしな平和条約」論が横行することになりました。学者間の見解も分かれています。
日ソ共同宣言についての学者間の評価・見解も分かれています(本画像は志村秀夫氏作成のレジュメより転載しました)
現在日ロ間で交渉中の「平和条約」は共同宣言9項に基づくもので、戦争を終了させる国際法上の平和条約とは異なるものです。志村講師は、想定される「平和条約」の内容の一部を私見として説明するとともに、条約名称は領土処理を含む「善隣友好協力条約」がふさわしいのではないかと述べて講演を締めくくられました。
【講演を聞いて】
『国際法から見た戦争と平和条約』というテーマで、広範囲でかつ内容の濃いお話しを聞かせていただきました。全てをお伝えすることが出来ないのは残念ですが、本コラムでは日ロ間の問題に絞ってレポートさせていただきました。想定される「日ロ平和条約」の一端も分かりやすくお話しいただき、大いに勉強になりました。善行雑学大学の会員講師のレベルの高さを改めて感じた講演でした。
善行雑学大学のホームページ⇒https://zengyo-zatsugaku.jimdofree.com/
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2019年08月05日