横浜人 ぶらり秩父宮記念館を歩く 藤沢市は秩父宮雍仁親王殿下がご静養のため移住され、ゆかりが深い場所と聞いています。ぶらり歩いて見ました。
ぶらり秩父宮記念体育館を歩く
2019年11月13日 (eguchi)
藤沢には秩父宮記念体育館という宮様のお名前を賜った体育館があるを聞いていましたのでゆかりを訪ねながら、ぶらり歩いてみました。館内などの案内板によると、藤沢市は秩父宮雍仁親王殿下がご静養のため1952年(昭和27年)に移住されるなど、ゆかりが深い場所です。雍仁親王殿下はご幼少の頃からスポーツを好まれ、テニス・ヨット・スキー・登山等に興味を持たれていました。『1953年1月4日(50歳没)』1954年(昭和29年)に藤沢市で体育館を建設することになり、そこで故雍仁親王殿下が生涯を通じてスポーツに深い関心を持たれていたことなどから「藤沢市秩父宮記念体育館」の名称を賜り、1955年(昭和30年)に秩父宮記念体育館として開館したそうです。
外観は割と四角の建物で一見体育館風には見えませんが5階建の総合体育館でした。一階には沢山のトレーニング機械が並ぶトレーニング室があり多くの方が汗を流していました。また市内の催しのパンフレットなど情報提供の場所もありました。各階には各々運動場があり武道場の他『多目的室』があり、バスケットボールなどの球技、柔道、剣道、 エアロビクス、レクリエーションダンス、卓球などが出来る施設でした。
5階には一部屋外となる弓道場所がありました。壁には藤沢弓道協会の方々が名誉師範の方はじめ段位と共に沢山の方の名前がありました。同場所はアーチェリーにも
使用され、藤沢市のパラスポーツの催しでは身体障碍者のアーチェリーも体験会が催されたそうです。
5階には一部屋外となる弓道場所がありました。壁には藤沢弓道協会の方々が名誉師範の方はじめ段位と共に沢山の方の名前がありました。同場所はアーチェリーにも
使用され、藤沢市のパラスポーツの催しでは身体障碍者のアーチェリーも体験会が催されたそうです。
正面玄関 その奥にホールが広がる。
一般国道467号線側。
市民の健康増進や体力づくりの場をはじめとして、多様なスポーツレクリエーション活動の拠点として、
多くの市民が快適に日常的に利用できる感じの施設でした。市民大会をはじめ多くの大会が行われています。
平成10年に開催された第53回「かながわ・ゆめ国体」バレーボール競技の会場になりました。
公益財団法人藤沢市みらい創造財団が管理運営に当たっていると書かれていました。
多くの市民が快適に日常的に利用できる感じの施設でした。市民大会をはじめ多くの大会が行われています。
平成10年に開催された第53回「かながわ・ゆめ国体」バレーボール競技の会場になりました。
公益財団法人藤沢市みらい創造財団が管理運営に当たっていると書かれていました。
秩父宮雍仁親王殿下(写真)はご幼少の頃からスポーツを好まれ、テニス・剣道等に興味を持たれていました。一階のエレベーター前の大きなショウケースには実際に使われた竹刀や防具なども展示されていて興味深く眺めました。
5階の弓道場。競技者は内部で演技し、側面には弓道場に沿った見通しのガラス窓があり演技内容を見る事が出来る。
多目的室では運動競技の他、催し物の準備場所などとしても幅広く利用されていた。
前庭には、藤沢の片瀬に居を構え暮らしておられたという「名誉市民 片山哲先生」の胸像(銅像)が置かれています。片山哲は1887年和歌山県生まれ。東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後弁護士となり、社会的な不公平をただすためには政界での活動が必要と考えて。1930年に神奈川2区から立候補して初当選しました。戦後は日本社会党に属し、1947年に同党が第1党に躍進した際に内閣総理大臣に就任し、戦後の難局処理に当たりました。1969年に藤沢市名誉市民第1号に選ばれ、1978年に90歳で亡くなりました。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2019年11月12日