横浜人 ぶらり 腰越を歩く江ノ電が走り抜ける町、腰越とその歴史をたどりながら久しぶりにぶらり歩いて見ました。
横浜人 ぶらり 腰越を歩く
2019年11月27日 (eguchi)
久しぶりに江ノ電に乗って腰越に行ってみました。腰越は南部に相模湾と面し、西部は藤沢市と接します。北部は西鎌倉と接し、東部は小動(こゆるぎ)岬をはさんで七里ヶ浜と接します。腰越は古くから鎌倉への入口 宿駅(腰越駅)として栄えていたと聞いています。近くの満福寺は源義経が腰越状を書いたところとして有名です。海岸線を国道134号と江ノ島電鉄線が平行して走る。また腰越を縦断するように神戸(ごうど)川が流れる。域内には江ノ島電鉄線腰越駅・鎌倉高校前駅・腰越漁港・腰越行政センター・腰越海水浴場などの施設があり、また龍口寺や満福寺・腰越村の鎮守として信仰を集めた小動(こゆるぎ)神社など寺社も多く、久しぶりにぶらり歩いて見ました。
江ノ電腰越駅。駅には片側にしかホームが無く上り・下りの乗客が同じホームで待つ。個人の家もすぐ線路際で実に江ノ電沿線の雰囲気を感じさせてくれる。
●腰越駅沿いの通りを歩く
腰越駅を出て踏切を渡りすぐの道路向いにパン屋さんを見かけました。「Boulangerie le beau temps(ル・ボートン)」というちょっとおゃれな感じですが難しい店名です。中を覗いて見ると意外に安くて美味しそうなパンが種類豊富で沢山ありました。飾り過ぎない味と手頃な値段で、腰越や近くの方に人気との事でした。
駅から道路沿い5分ほどの左手に江ノ電の線路を越して急な階段があり、紫ののぼりがはためく義経・弁慶ゆかりの満福寺がありました。説明によると元暦2年(1185年)、源平合戦(治承・寿永の乱)において活躍した源義経は、念願の平家討滅を成し遂げたにも関わらず兄・頼朝から面会を拒絶され続けました。そして旧暦5月24日(6月23日)、腰越の満福寺に逗留していた義経は頼朝の近臣・大江広元に兄への心情を訴え、執り成しを依頼する書状を認めたとされる。これが有名な『腰越状』です。お寺の前にたたずむとここでその『腰越状』が書かれたのかと義経・弁慶の時代の歴史に思いをはせる一時でした。
●腰越漁港を歩く
少し歩いて海に出ると、そこはスケッチで有名な江の島の見える腰越漁港。ここはしらすで有名な漁港であると同時にスケッチの名所でもあります。改修されて、堅固なコンクリートの堤防が目立つようになりましたが、まだまだ懐かしい昔のイメージを楽しめるところがあります。
江ノ島・鎌倉で小さめの綺麗な生しらすが食べられる時期。しらす漁が盛んな江ノ島・鎌倉周辺では、鮎の仔魚を保護する為に禁漁期間(1/1〜3/10)を設けています。なので、3/11〜12/31が生しらすが食べられる時期となります。湘南生しらす丼についてちょっと調べてみると、湘南の2大観光地「江ノ島」「鎌倉」と、しらすが水揚げされる漁港がある「腰越」にお店が集中している事がわかりました。
●鎌倉高校前 空と海
スケッチで有名な江ノ電・鎌倉高校駅前の風景、空が主役の風景を描くなら秋と決めています。湿度の高い夏に比べ、青空も澄みわたり、様々な形の雲を見ることが出来るからです。ここは人気アニメ『スラムダンク』のオープニングに登場する場所で台湾中国の観光客が多く訪れると聞いています。確かに周りは大声の中国語ばかり。お互いに写真を撮ったり、自撮で楽しそうでした。藤沢から江ノ島電鉄に乗り7つ目の駅、鎌倉高校前で降りるとこのような海と空の風景が視界全体に広がっています。
やはりのんびりと江ノ電に乗って現地に着いた方が景色も格別に見えてきます。
やはりのんびりと江ノ電に乗って現地に着いた方が景色も格別に見えてきます。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2019年11月28日