小田急今昔(6)本鵠沼駅藤沢駅より片瀬江ノ島駅に向かう一つ目の駅が本鵠沼駅です。江ノ電の鵠沼駅と区別するため、駅名を本鵠沼としました。
小田急江ノ島線今昔(6)-本鵠沼駅-
2020年5月29日 (Ooishi)
藤沢駅より片瀬江ノ島駅に向かう一つ目の駅が本鵠沼駅です。1902年に開通した江之島電氣鐵道(現在の江ノ電)に鵠沼駅がすでに開設されていたので、それと区別するため駅名を本鵠沼としました。しかし、今の本鵠沼駅の北に続く鵠沼神明が鵠沼の発祥とされているところからすれば、まさしく“本”鵠沼といってよいでしょう。鵠沼神明にはかっての総鎮守皇大神宮(烏森神社)があり、付近から弥生式土器や土師器が出土しています。 もともとこの地域は昔、砥上ヶ原といわれ、今でも砥上という地名が残っています。鵠沼は古くは、「クグイヌマ」と読まれました。クグイは白鳥で、冬にシベリアから渡ってきますが、境川か引地川の沼沢地に翼を休ませるところがあったのでしょう。
2010年
2020年
1 本鵠沼駅の由来
1929年4月1日、小田急江ノ島線開通と同時に本鵠沼駅が開設されました。当時は畑の中にポツンと設置されていました。駅の西側は皇大神宮の氏子集落、東側は大震災後の新興別荘地(高級住宅地)と全く性格の違う地域性を持つなかで、その中央を小田急江ノ島線が走り、中央部分に本鵠沼駅が開設されました。その後、人口の増加に伴い商店街も店舗が増え活性化し、最近になって乗降客も増加傾向となってきています。
1929年4月1日、小田急江ノ島線開通と同時に本鵠沼駅が開設されました。当時は畑の中にポツンと設置されていました。駅の西側は皇大神宮の氏子集落、東側は大震災後の新興別荘地(高級住宅地)と全く性格の違う地域性を持つなかで、その中央を小田急江ノ島線が走り、中央部分に本鵠沼駅が開設されました。その後、人口の増加に伴い商店街も店舗が増え活性化し、最近になって乗降客も増加傾向となってきています。
2 本鵠沼駅の昔と今
残念ながら開設時代の写真がなく、1971年のものを左側に掲載しています。1971年の写真の南側(鵠沼海岸駅方向)に、延長された現在のホームがあります(右側の写真)。2004年には東口が新設されるとともに、トイレも新しくなって利便性が向上しました。
残念ながら開設時代の写真がなく、1971年のものを左側に掲載しています。1971年の写真の南側(鵠沼海岸駅方向)に、延長された現在のホームがあります(右側の写真)。2004年には東口が新設されるとともに、トイレも新しくなって利便性が向上しました。
1971年当時本鵠沼駅ホーム
最近の本鵠沼駅ホーム
3 乗降客の推移
1970年ごろから乗客数は11,000人程度で推移していましたが、2008年以降は漸増傾向となり、2018年は約14,000人に増加しました。
1970年ごろから乗客数は11,000人程度で推移していましたが、2008年以降は漸増傾向となり、2018年は約14,000人に増加しました。
*4 本鵠沼駅の周辺
駅を囲んで商店街がありますが、その周りには閑静な住宅街が広がります。東側の地名は鵠沼松が岡、西南は本鵠沼となります。駅の両側に踏切があり、南側の踏切道に沿って東西に100m程、商店街が展開しています。東側商店街を抜けて少し歩くと、桜小路公園の蓮池があります。かつての鵠沼の面影を残す場所といわれています。
駅を囲んで商店街がありますが、その周りには閑静な住宅街が広がります。東側の地名は鵠沼松が岡、西南は本鵠沼となります。駅の両側に踏切があり、南側の踏切道に沿って東西に100m程、商店街が展開しています。東側商店街を抜けて少し歩くと、桜小路公園の蓮池があります。かつての鵠沼の面影を残す場所といわれています。
2010年の商店街
2020年の商店街
桜小路公園の蓮池
(参考文献 小田急電鉄株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。)
(市民記者 TOMU 2010年8月 更新2020年5月*の箇所 大石)
(市民記者 TOMU 2010年8月 更新2020年5月*の箇所 大石)
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年5月27日