湘南のお地蔵さま 砂坂地蔵
砂坂地蔵は京急堀ノ内駅からほど近く、二体のお地蔵さまが祀られている。その左側が砂坂地蔵である。
砂坂地蔵は京急堀ノ内駅からほど近く、二体のお地蔵さまが祀られている。その左側が砂坂地蔵である。
続・湘南のお地蔵さま『砂坂地蔵』(43)
2020年7月8日 (江ノ電沿線新聞)
続・湘南のお地蔵さま『砂坂地蔵』(43)
『砂坂地蔵』
横須賀市 大津 中島淳一
横須賀市 大津 中島淳一
京急堀ノ内駅を出て右折し、交番横の信号を渡り、左へ二百メートル程進んだ次の信号を右へ三百メートル程行った左側にお堂があり、二体のお地蔵さまが祀られる。その左側が砂坂地蔵である。深紅の涎掛けと帽子を身につけ、右手に錫杖左手に宝珠を持つ通例のお姿で、拝む者にやさしい眼差しを向ける。火成岩と思われる石に彫られており衣文線も単純ながらしっかり表現されている。
このお堂の前の道は浦賀道と呼ばれ、江戸から横浜金沢などを経て浦賀に至る昔の要路だが、このお堂の前は緩やかな坂道となっており、古来より砂坂と呼ばれている。現在は海から三百メートル以上離れているが、明治時代の初め頃まではこの浦賀道のすぐ近くが海岸線だった。そのためこの坂道には常に砂や小石が多く通行の妨げとなっていたようで、そこからこの坂の名前が付いたとも言われている。おそらくお地蔵さまの名前もこの坂道の名前に由来するのであろう。またこの地蔵はイボトリ地蔵とも呼ばれ、足元の小石を持ち帰りイボをなでるとイボが取れると伝わり、地域の人々にとって近所の頼れるお医者さんのように信仰されている。人々の心にやさしく寄り添い地域と共に生きるお地蔵さまである。
このお堂の前の道は浦賀道と呼ばれ、江戸から横浜金沢などを経て浦賀に至る昔の要路だが、このお堂の前は緩やかな坂道となっており、古来より砂坂と呼ばれている。現在は海から三百メートル以上離れているが、明治時代の初め頃まではこの浦賀道のすぐ近くが海岸線だった。そのためこの坂道には常に砂や小石が多く通行の妨げとなっていたようで、そこからこの坂の名前が付いたとも言われている。おそらくお地蔵さまの名前もこの坂道の名前に由来するのであろう。またこの地蔵はイボトリ地蔵とも呼ばれ、足元の小石を持ち帰りイボをなでるとイボが取れると伝わり、地域の人々にとって近所の頼れるお医者さんのように信仰されている。人々の心にやさしく寄り添い地域と共に生きるお地蔵さまである。
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年7月7日