湘南のお地蔵さま 足柄地蔵
2021年2月5日 (江ノ電沿線新聞)
『足柄地蔵』 南足柄市 矢倉沢 中島淳一
写真提供 御開帳実行委員会
写真提供 御開帳実行委員会
紅葉の美しい令和二年十一月二十一・二十二日に、南足柄市の北に位置する矢倉沢地区の地蔵堂本尊・足柄地蔵が約百五十年ぶりに御開帳された。
この地区には足柄山の金太郎伝説に関連するその生家跡や遊び石などが現存し、ここを通る足柄道(矢倉沢往還)も古代からの主要道で『更級日記』にも足柄山の地名が登場する。江戸時代には関所や旅籠もありにぎやかだったと伝わる。この地蔵堂は正式には誓光寺という曹洞宗の寺で、何度も火災に遭ったようだが本尊などは奇跡的に救い出され、現在もその信仰は脈々と続いている。この足柄地蔵は本堂裏の収蔵庫に安置され、その厨子と共に神奈川県指定重要文化財で像高一六〇・五センチ、檜材の寄木造で肉身部黒漆塗り着衣部は朱漆塗りに銀泥で文様を描き右手に錫杖左手に宝珠を持つ。衣文の流れも美しく鎌倉時代に一流の仏師が造像したようで、この地の地名を冠とするに値する像である。
約七百年間、多くの旅人や地元民の篤い信仰心に護られてきた足柄地蔵が、今回は病禍を憂いそのお姿を現したことに感謝の念を強く感じる。今回の御開帳には私も含め約三千人が訪れたというが、この混沌とした社会状況を足柄地蔵のご加護で終焉させたい。
※1月号掲載の「とうふ地蔵」の拝観は事前の連絡が必要です
この地区には足柄山の金太郎伝説に関連するその生家跡や遊び石などが現存し、ここを通る足柄道(矢倉沢往還)も古代からの主要道で『更級日記』にも足柄山の地名が登場する。江戸時代には関所や旅籠もありにぎやかだったと伝わる。この地蔵堂は正式には誓光寺という曹洞宗の寺で、何度も火災に遭ったようだが本尊などは奇跡的に救い出され、現在もその信仰は脈々と続いている。この足柄地蔵は本堂裏の収蔵庫に安置され、その厨子と共に神奈川県指定重要文化財で像高一六〇・五センチ、檜材の寄木造で肉身部黒漆塗り着衣部は朱漆塗りに銀泥で文様を描き右手に錫杖左手に宝珠を持つ。衣文の流れも美しく鎌倉時代に一流の仏師が造像したようで、この地の地名を冠とするに値する像である。
約七百年間、多くの旅人や地元民の篤い信仰心に護られてきた足柄地蔵が、今回は病禍を憂いそのお姿を現したことに感謝の念を強く感じる。今回の御開帳には私も含め約三千人が訪れたというが、この混沌とした社会状況を足柄地蔵のご加護で終焉させたい。
※1月号掲載の「とうふ地蔵」の拝観は事前の連絡が必要です
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2021年2月5日
湘南のお地蔵さま
足柄地蔵
2021年2月5日 (江ノ電沿線新聞)
『足柄地蔵』 南足柄市 矢倉沢 中島淳一
キャプション 写真提供 御開帳実行委員会
キャプション 写真提供 御開帳実行委員会
紅葉の美しい令和二年十一月二十一・二十二日に、南足柄市の北に位置する矢倉沢地区の地蔵堂本尊・足柄地蔵が約百五十年ぶりに御開帳された。
この地区には足柄山の金太郎伝説に関連するその生家跡や遊び石などが現存し、ここを通る足柄道(矢倉沢往還)も古代からの主要道で『更級日記』にも足柄山の地名が登場する。江戸時代には関所や旅籠もありにぎやかだったと伝わる。この地蔵堂は正式には誓光寺という曹洞宗の寺で、何度も火災に遭ったようだが本尊などは奇跡的に救い出され、現在もその信仰は脈々と続いている。この足柄地蔵は本堂裏の収蔵庫に安置され、その厨子と共に神奈川県指定重要文化財で像高一六〇・五センチ、檜材の寄木造で肉身部黒漆塗り着衣部は朱漆塗りに銀泥で文様を描き右手に錫杖左手に宝珠を持つ。衣文の流れも美しく鎌倉時代に一流の仏師が造像したようで、この地の地名を冠とするに値する像である。
約七百年間、多くの旅人や地元民の篤い信仰心に護られてきた足柄地蔵が、今回は病禍を憂いそのお姿を現したことに感謝の念を強く感じる。今回の御開帳には私も含め約三千人が訪れたというが、この混沌とした社会状況を足柄地蔵のご加護で終焉させたい。
※1月号掲載の「とうふ地蔵」の拝観は事前の連絡が必要です
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2021年2月5日