鎌倉殿湘南ゆかりのスポット「鎌倉殿ゆかりの湘南スポット」を、鎌倉周辺の藤沢、茅ヶ崎、寒川、平塚を中心に紹介いたします。
2022年4月20日
<はじめに>
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が今年始まっています。それに伴い、鎌倉殿ゆかりのご当地紹介が盛んです。
「えのぽ」でも、これまで、地元の歴史を紹介してきましたが、鎌倉時代を振り返る良い機会ですので、「鎌倉殿ゆかりの湘南スポット」を、鎌倉周辺の藤沢、茅ヶ崎、寒川、平塚を中心に30か所くらい紹介いたします。時代をⅠ頼朝前史、Ⅱ頼朝挙兵 Ⅲ鎌倉幕府 Ⅳ頼朝没後の4段階に分けて、整理してみました。
頼朝(よりとも)の父、義朝(よしとも)や先祖の支配した関東下の武士たちが、平氏打倒のために頼朝と共に再起し、鎌倉幕府を興し、頼朝死後は、北条氏に支配されてゆく歴史の流れに、相模武士は、翻弄されてゆきます。
その推移を、具体的な湘南スポットをたどりながら、振り返ってみたいと思います。
「えのぽ」でも、これまで、地元の歴史を紹介してきましたが、鎌倉時代を振り返る良い機会ですので、「鎌倉殿ゆかりの湘南スポット」を、鎌倉周辺の藤沢、茅ヶ崎、寒川、平塚を中心に30か所くらい紹介いたします。時代をⅠ頼朝前史、Ⅱ頼朝挙兵 Ⅲ鎌倉幕府 Ⅳ頼朝没後の4段階に分けて、整理してみました。
頼朝(よりとも)の父、義朝(よしとも)や先祖の支配した関東下の武士たちが、平氏打倒のために頼朝と共に再起し、鎌倉幕府を興し、頼朝死後は、北条氏に支配されてゆく歴史の流れに、相模武士は、翻弄されてゆきます。
その推移を、具体的な湘南スポットをたどりながら、振り返ってみたいと思います。
頼朝挙兵の頃の「関東地方の有力豪族」と
「頼朝、反頼朝軍の勢力図」
「頼朝、反頼朝軍の勢力図」
<はじめに>
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が今年始まっています。それに伴い、鎌倉殿ゆかりのご当地紹介が盛んです。「えのぽ」でも、これまで、地元の歴史を紹介してきましたが、鎌倉時代を振り返る良い機会ですので、「鎌倉殿ゆかりの湘南スポット」を、鎌倉周辺の藤沢、茅ヶ崎、寒川、平塚を中心に30か所くらい紹介いたします。時代をⅠ頼朝前史、Ⅱ頼朝挙兵 Ⅲ鎌倉幕府 Ⅳ頼朝没後の4段階に分けて、整理してみました。 頼朝の父、義朝や先祖の支配した関東下の武士たちが、平氏打倒のために頼朝と共に再起し、鎌倉幕府を興し、頼朝死後は、北条氏に支配されてゆく歴史の流れに、相模武士は、翻弄されてゆきます。その推移を、具体的な湘南スポットをたどりながら、振り返ってみたいと思います。
頼朝挙兵の頃の
「関東地方の有力豪族」と
「頼朝、反頼朝軍の勢力図」
「関東地方の有力豪族」と
「頼朝、反頼朝軍の勢力図」
<頼朝挙兵の頃の「関東地方の有力豪族と13人評定衆」>
「鎌倉殿の13人」の舞台は、関東の武士、とりわけ相模武士の活躍が大きな比重を占めています。
頼朝の挙兵が、伊豆を起点に、石橋山合戦で相模武士が、頼朝軍と反頼朝軍に分かれて戦うことから始まっており、頼朝が鎌倉に幕府を開いてからも、相模国は、深いつながりをもってきました。
「鎌倉殿の13人」の舞台は、関東の武士、とりわけ相模武士の活躍が大きな比重を占めています。
頼朝の挙兵が、伊豆を起点に、石橋山合戦で相模武士が、頼朝軍と反頼朝軍に分かれて戦うことから始まっており、頼朝が鎌倉に幕府を開いてからも、相模国は、深いつながりをもってきました。
<相模の武士団の動向>
多くの武士団は、平家の支配から、自立したいと考えていたようですが、劣勢だった源氏の再興の力関係を見て、頼朝軍と反頼朝軍に分かれて戦いながら、流動的な行動を見せます。相模武士団は、最終的には、大庭景親(かげちか)、俣野景久(かげひさ)、伊東祐親(すけちか)などを除き、頼朝軍に従います。
多くの武士団は、平家の支配から、自立したいと考えていたようですが、劣勢だった源氏の再興の力関係を見て、頼朝軍と反頼朝軍に分かれて戦いながら、流動的な行動を見せます。相模武士団は、最終的には、大庭景親(かげちか)、俣野景久(かげひさ)、伊東祐親(すけちか)などを除き、頼朝軍に従います。
<鎌倉殿ゆかりの湘南スポット>
藤沢(含隣接の戸塚、大船)、茅ヶ崎、寒川、平塚、を中心に紹介します。鎌倉幕府成立後は、鎌倉の8スポット(下図:赤字番号)入れています。
藤沢(含隣接の戸塚、大船)、茅ヶ崎、寒川、平塚、を中心に紹介します。鎌倉幕府成立後は、鎌倉の8スポット(下図:赤字番号)入れています。
Ⅰ頼朝前史 / Ⅱ頼朝挙兵 Ⅲ鎌倉幕府 / Ⅳ頼朝没後