湘南のお地蔵さま 小道地蔵
真鶴駅よりバスに乗り海沿いの吉浜で降りると、正面に立派な朱塗りの地蔵堂がある。
真鶴駅よりバスに乗り海沿いの吉浜で降りると、正面に立派な朱塗りの地蔵堂がある。
続・湘南のお地蔵さま(68)『小道(こみち)地蔵』
2022年8月10日 (江ノ電沿線新聞)
続・湘南のお地蔵さま(68)『小道(こみち)地蔵』
湯河原町 吉浜 中島淳一
湯河原町 吉浜 中島淳一
今回は湯河原町のお地蔵さまを初めて紹介する。真鶴駅よりバスに乗り海沿いの吉浜で降りると、正面に立派な朱塗りの地蔵堂がある。堂内の須弥壇(しゅみだん)にはお前立ちの木造地蔵三尊像と、石の四角塔(正面に地蔵尊、両脇に梵字の彫刻がある)が安置される。この石塔が本尊小道地蔵である。江戸時代の地誌『新編相模国風土記稿』にもその模写が描かれ地域の人々の信仰の深さに驚く。この地蔵尊は平安時代初めの大同四年(八〇九)に地元漁師の網に掛り、霊験あらたかなることから、海より少し離れた南郷山近くの草庵に本尊として祀られたと伝わる。そこには今も「史蹟寺屋敷」の石碑が建つ。
同時代末、この地蔵堂に石橋山から敗走する源頼朝一行が身を隠し、当時の住職が命がけで敵から一行を護った。その後頼朝はその恩義を忘れず寺名を頼朝寺とし手厚く庇護した。その後寺は火難に遭うが地蔵尊は助け出され、江戸時代の貞享二年(一六八五)に今もお堂を管理する古刹英潮院の当時の住職と地元民により現在地にお堂は再建された。
同時代末、この地蔵堂に石橋山から敗走する源頼朝一行が身を隠し、当時の住職が命がけで敵から一行を護った。その後頼朝はその恩義を忘れず寺名を頼朝寺とし手厚く庇護した。その後寺は火難に遭うが地蔵尊は助け出され、江戸時代の貞享二年(一六八五)に今もお堂を管理する古刹英潮院の当時の住職と地元民により現在地にお堂は再建された。
地蔵堂を訪れた時、堂内では夏祭りに向けて子どもたちが太鼓の練習をしていた。お地蔵さまもさぞかし幸せな気持ちで耳を傾けていることだろう。
毎月23日午後1時~2時参拝可能
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年8月10日