浄智寺(鎌倉五山の第4位)歴史探訪(29):北鎌倉の円覚寺から建長寺の間にある鎌倉五山第4位の浄智寺を訪ねます。
歴史探訪(29):浄智寺(鎌倉五山の第4位)
2022年9月27日 (itazu)
北鎌倉の円覚寺から建長寺の間にある鎌倉五山第4位の浄智寺を訪ねます。
因みに、建長寺は鎌倉五山第1位、円覚寺は、第2位です。
因みに、建長寺は鎌倉五山第1位、円覚寺は、第2位です。
浄智寺山門:山門から鐘楼門に続く石段の景色は美しく、参道の入口に、丸石橋と、鎌倉十井の一つ、甘露の井があります。
浄智寺は、深山幽谷の山寺の趣があります。
北条時頼(第5代執権)の子 宗政の死を弔うために、妻とその子、師時(もろとき)(第10代執権)が開基した(1281年)、となっていますが、師時が幼少だったため、実際は、宗政の兄、時宗((第8代執権)が創建しています。宗政は、元寇の国難の時、時宗の補佐役として活躍しており、その死を、時宗は悲嘆したといわれます。
北条時頼(第5代執権)の子 宗政の死を弔うために、妻とその子、師時(もろとき)(第10代執権)が開基した(1281年)、となっていますが、師時が幼少だったため、実際は、宗政の兄、時宗((第8代執権)が創建しています。宗政は、元寇の国難の時、時宗の補佐役として活躍しており、その死を、時宗は悲嘆したといわれます。
←(写真左)二階がが鐘楼という珍しい山門。銅の鐘が掛かっています。
盛時には円覚寺に近い規模
浄智寺は、関東大震災で諸堂は潰滅して現在は、山門や、新しい仏殿が点在しているだけですが、最盛期は、七堂伽藍を備え、塔頭(たっちゅう)も11寺院、僧衆は200人を超え、第4位にふさわしい規模だったといわれます。
本堂:曇華殿(どんげでん)
本尊(三世仏) 阿弥陀(左)、釈迦(中央)、弥勒(右)が過去、現在、未来を象徴。
境内は、国の史跡に指定
創建後、日本の禅宗史の名僧、高峰顕日(後嵯峨天皇の子)、夢窓疎石などが住持となっており、
境内は、国の史跡に指定されています。
創建後、日本の禅宗史の名僧、高峰顕日(後嵯峨天皇の子)、夢窓疎石などが住持となっており、
境内は、国の史跡に指定されています。
やぐら
鎌倉随一の槇の巨大な老木
山門から鐘楼門に続く石段の景色は美しく、参道の入口に、丸石橋と、鎌倉十井の一つ、甘露の井があり、山門には、「寶所在近」(「宝物は近くにある」という意味)の無学祖元(円覚寺の開山)の扁額があります。鐘楼門は重層で梵鐘が吊るされています。
本殿は、新しいですが、木造三世仏座像という珍しいもので、阿弥陀、釈迦、弥勒の如来三体で過去、現在、未来を表しています。
境内には、鎌倉随一といわれる、槇の巨大な老木や、やぐらやなど谷戸の最奥らしい景色が境内のあちらこちらに見られます。
また、高原のような林を上ると源氏山方面に抜ける山道があります。
鎌倉随一といわれる、槇の巨大な老木
やぐらには、布袋様
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(参考)以下は、これまで紹介しました鎌倉五山の記事です。
鎌倉五山その1 寿福寺
鎌倉五山その2 建長寺
鎌倉五山その3 円覚寺
鎌倉五山その5 足利氏ゆかりの古寺、浄妙寺
(参照資料)「鎌倉の寺社122を歩く」PHP新書、ウィキペディア他
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年9月27日