護良親王を祀る鎌倉宮(大塔宮)
歴史探訪(32) 鎌鎌倉市二階堂の鎌倉宮には、後醍醐天皇の皇子 護良(もりよし/もりなが)親王が祀られています。
歴史探訪(32) 鎌鎌倉市二階堂の鎌倉宮には、後醍醐天皇の皇子 護良(もりよし/もりなが)親王が祀られています。
護良親王を祀る鎌倉宮(大塔宮)
2022年11月15日 (itazu)
今回は、鎌倉市二階堂の鎌倉宮を訪ねます。足利尊氏が後醍醐天皇から離反するきっかけとなった中先代の乱で殺害された護良親王が祀られています。
鎌倉宮入口の鳥居
「建武の中興」で征夷大将軍
鎌倉宮には、護良(もりよし/もりなが)親王が祀られています。護良親王は後醍醐天皇の皇子で、延暦寺の天台座主をしていたことがあり「大塔宮」と呼ばれました。
後醍醐天皇による鎌倉幕府に対する政変「元弘の乱」が起こると、還俗して天皇に加勢します。
北条に対する足利尊氏の寝返りにより、後醍醐天皇による「建武の新政」が成立しますと、護良親王はその軍功により軍功により征夷大将軍になります。
鎌倉宮には、護良(もりよし/もりなが)親王が祀られています。護良親王は後醍醐天皇の皇子で、延暦寺の天台座主をしていたことがあり「大塔宮」と呼ばれました。
後醍醐天皇による鎌倉幕府に対する政変「元弘の乱」が起こると、還俗して天皇に加勢します。
北条に対する足利尊氏の寝返りにより、後醍醐天皇による「建武の新政」が成立しますと、護良親王はその軍功により軍功により征夷大将軍になります。
拝殿
中先代の乱で殺害される
しかし、護良親王は、その後、「新政」に不満な武士層の信望を集め力をつけてきた足利尊氏と対立したため、拘禁され、鎌倉の足利直義(ただよし)(尊氏の弟)に送られ、東光寺(現在の鎌倉宮)へ幽閉されてしまいます。
本殿裏手に護良親王が幽閉されたと伝わる土牢があります。
1335年中先代の乱で、鎌倉幕府滅亡時の執権北条高時の遺児、時行が挙兵して鎌倉に攻め込むと、逃げる足利直義側の武将に護良親王は殺されます。
北条時行が、護良親王を鎌倉将軍として担ぐことを恐れたからです。
9か月幽閉されていた土牢
中先代の乱を契機に建武新政は崩壊
中先代の乱では、敗走した直義に尊氏が加勢し、時行を撃退しますが、これを機に、醐天皇の建武政権から足利尊氏が離反することになり、建武政権は崩壊します。
足利尊氏と弟の直義は、中先代の乱に続けて、新田義貞や楠木正成と戦う中で、室町政権を成立させていきました。
中先代の乱では、敗走した直義に尊氏が加勢し、時行を撃退しますが、これを機に、醐天皇の建武政権から足利尊氏が離反することになり、建武政権は崩壊します。
足利尊氏と弟の直義は、中先代の乱に続けて、新田義貞や楠木正成と戦う中で、室町政権を成立させていきました。
北条時行は南朝と共に尊氏に敵対
後醍醐天皇の皇子には下記の八皇子がいて、中先代の乱で敗れた北条時行は、その後も南朝に加わり宗良親王(むねよし)や義良親王(のりよし:後村上天皇)と共に尊氏と戦っています。北条を滅ぼした後醍醐天皇の南朝と手を組んでも、北条を裏切った尊氏への怨念が続いていたものと思われます。
親王の墓
<後醍醐天皇の八皇子>
◆尊良親王(たかよし) (1306-1337)上将軍
◆世良親王(ときよし) (1307-1330)早逝
◆護良親王(もりよし)(1308-1335)大塔宮、征夷大将軍
◆宗良親王(むねよし)(1311-1385)信濃(しなのの)宮:征夷大将軍、伊那郡大河原を拠点
◆恒良親王(つねよし)(1325-13??)皇太子
◆成良親王(なりよし)(1326-1344)征夷大将軍:足利直義に奉じられ鎌倉へ下向。
◆義良親王(のりよし)(1328-1368)後村上天皇
◆懐良親王(かねよし)(1329-1383) 征西将軍宮
◆尊良親王(たかよし) (1306-1337)上将軍
◆世良親王(ときよし) (1307-1330)早逝
◆護良親王(もりよし)(1308-1335)大塔宮、征夷大将軍
◆宗良親王(むねよし)(1311-1385)信濃(しなのの)宮:征夷大将軍、伊那郡大河原を拠点
◆恒良親王(つねよし)(1325-13??)皇太子
◆成良親王(なりよし)(1326-1344)征夷大将軍:足利直義に奉じられ鎌倉へ下向。
◆義良親王(のりよし)(1328-1368)後村上天皇
◆懐良親王(かねよし)(1329-1383) 征西将軍宮
明治天皇が鎌倉宮を創建
明治2年明治天皇は、東光寺跡に、護良親王の偉勲をを讃え、この鎌倉宮を創建しました。
明治天皇は、南北朝時代に天皇と対立した足利尊氏に抹殺された皇子への鎮魂の意を表したものと考えられます。
明治2年明治天皇は、東光寺跡に、護良親王の偉勲をを讃え、この鎌倉宮を創建しました。
明治天皇は、南北朝時代に天皇と対立した足利尊氏に抹殺された皇子への鎮魂の意を表したものと考えられます。
参照資料:「鎌倉の寺社122を歩く」(山折哲雄)、北条時行とはなにものか」(刻流文庫)、ウィキペディア他)
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年11月13日