覚園寺:実朝暗殺にまつわる薬師堂
歴史探訪(33) 覚園寺:実朝暗殺にまつわる由来がある薬師堂を訪ねます。
歴史探訪(33) 覚園寺:実朝暗殺にまつわる由来がある薬師堂を訪ねます。
覚園寺:実朝暗殺にまつわる由来がある薬師堂
2022年11月24日 (itazu)
歴史探訪(33) 覚園寺:実朝暗殺にまつわる由来がある薬師堂を訪ねます。
覚園寺山門
義時が建てた薬師堂
覚園寺は、9代執権北条貞時が1296年に元寇が再び起こらぬことを願い開山した真言宗の寺ですが、その前身は、北条義時が1218年に薬師如来像を安置して建てた大蔵薬師堂です。
この薬師堂には、実朝暗殺にまつわる由来があります。
覚園寺地図
実朝暗殺にまつわる由来とは
「吾妻鏡」によれば
1218年、義時は将軍実朝に従って鶴岡八幡宮に拝賀の参詣をしました。その夜、夢の中に薬師如来の眷属(けんぞく:従者)十二神将の戌神(じゅっしん)が現れ、「今年は何事もなかったが、来年の拝賀にはけっして供奉(ぐぶ:お供の行列に加わること)されぬよう」と告げます。
入口の案内板、左写真は薬師堂
このお告げに感謝して、義時は、薬師堂の建立をしました。
翌1219年、義時は、体の不調を理由に実朝の教育係だった源仲章に御剣役を代わってもらいました。
そののち、鶴岡八幡宮で公暁(頼家の遺児)による実朝暗殺が起こり、代わってもらった源仲章も殺されました。
翌1219年、義時は、体の不調を理由に実朝の教育係だった源仲章に御剣役を代わってもらいました。
そののち、鶴岡八幡宮で公暁(頼家の遺児)による実朝暗殺が起こり、代わってもらった源仲章も殺されました。
入口にある案内看板、戌神と薬師堂
薬師三尊と神将は鎌倉屈指の尊像
薬師堂にある、薬師三尊座像と十二神将像は鎌倉屈指の尊像といわれ、見ごたえがあります。
奥深く緑豊かな境内は静寂としていて、古都鎌倉の面影を残しています。境内は撮影が許されません。
左の写真は入口の案内ですが、十二神将の戌神と薬師堂が写されています。
覚園寺は、建武の新政では後醍醐天皇の勅願寺となり、のち足利氏の庇護を受けています。
奥深く緑豊かな境内は静寂としていて、古都鎌倉の面影を残しています。境内は撮影が許されません。
左の写真は入口の案内ですが、十二神将の戌神と薬師堂が写されています。
覚園寺は、建武の新政では後醍醐天皇の勅願寺となり、のち足利氏の庇護を受けています。
参照資料:「鎌倉の寺社122を歩く」(PHP新書、山折哲雄)、ウィキペディア他
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年11月24日