ぶらり 大鋸大鋸は藤沢宿三町のうちの一つで、鎌倉時代から大のこぎりを扱う職人衆がいたので、その名がついたと言われています。
ぶらり 大鋸
2022年12月16日 (B.Stone)
大鋸は藤沢宿三町のうちの一つで、鎌倉時代から大のこぎりを扱う職人衆がいたので、その名がついたと言われています。現在は東海道線の北側から横浜市、鎌倉市との境界までの境川東岸一帯で、坂の多い起伏に富んだところです。
藤沢橋近くの境川沿いにある船玉神社は海上守護を願って建てられた神社で、近くには船大工が多く住んでいたそうです。
船玉神社の裏を流れる境川です。このあたりで源実朝入宋船の材料が切り出されたとも言われています。
旧東海道の遊行寺坂上付近です。この少し先にある戦前の和洋折衷建築旧モーガン邸は、現在、火災からの再建が検討されています。
旧東海道から北西の藤沢バイパス方向に下ったところの大鋸運動公園には、野球のグランドとテニスコートがあります。
境川上流の藤沢清流高校付近には、昔は泉が湧き出ていたそうです。遊行寺周辺が西富に分かれて以来、このあたりは大鋸の飛び地になりました。
参考:藤沢の地名 日本地名研究所編 発行/藤沢市
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記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年12月16日