鎌倉円応寺の閻魔大王像
歴史探訪(34)北鎌倉の建長寺の近くに、えんま様の寺として知られる円応寺があります。
歴史探訪(34)北鎌倉の建長寺の近くに、えんま様の寺として知られる円応寺があります。
歴史探訪(34)鎌倉円応寺の閻魔大王像
2022年12月21日 (itazu)
北鎌倉の建長寺の近くに、えんま様の寺として知られる円応寺があります。
鎌倉街道から急こう配の石段を上ると、境内の正面に閻魔(えんま)堂(十王堂)があり、堂内中央に閻魔像、左右の壇上に他の十王が鎮座しています。
十王とは、死者を裁く十人の王たちで、順番に厳しく取り調べ、57日後にその結果を閻魔王が見て、その死者を六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどこにやるかを決めます。
鎌倉街道から急こう配の石段を上ると、境内の正面に閻魔(えんま)堂(十王堂)があり、堂内中央に閻魔像、左右の壇上に他の十王が鎮座しています。
十王とは、死者を裁く十人の王たちで、順番に厳しく取り調べ、57日後にその結果を閻魔王が見て、その死者を六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどこにやるかを決めます。
閻魔堂(十王堂)
閻魔像
閻魔像は運慶の作と伝わる
この閻魔像は、寺の案内によれば、運慶の作と伝わり、国指定重要文化財となっています。
運慶が死んだ時、閻魔大王に、
「欲深い罪により、地獄へ落ちるべきところであるが、我が姿を彫像し、それを見た人々が悪行をなさず、善縁に趣くのであれば、娑婆に戻してやろう」
といわれ娑婆に戻された。蘇生した運慶はお礼に閻魔の像をつくったとといわれる。
生き返った喜びのため、閻魔の顔を優しく彫ったようで「笑い閻魔」と呼ばれています。
山門
円応寺は、1250年に創建
円応寺は、1250年に創建されたお寺で、はじめは大仏様の近くにあったものを、足利尊氏が由比ガ浜に移築し、その後1703年に起きた大地震後現在の地に移ったといわれます。
円応寺は、1250年に創建されたお寺で、はじめは大仏様の近くにあったものを、足利尊氏が由比ガ浜に移築し、その後1703年に起きた大地震後現在の地に移ったといわれます。
(注)1253年が北条時頼によって建長寺が開基されていますから、これより3年ほど前になります。因みに、1223年に運慶は亡くなっています。
参照資料:「鎌倉の寺社122を歩く」(PHP新書)、円応寺案内パンフ、ウィキペディア他
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2022年12月19日