続・湘南のお地蔵さま(89)『寒川町の車地蔵』
2024年5月8日 (江ノ電沿線新聞)
続・湘南のお地蔵さま(89)『寒川町の車地蔵』
寒川町 一之宮 中島淳一
寒川駅南口を出て線路沿いに進み踏切を渡らず左へ約三百メートル行くと左横の水路が暗渠となり、その先の交差点を右へ入るとお堂があり、閉じられた厨子の中に車地蔵が祀られる。
この地蔵尊造立の由来だが、小田原城を築城し初代城主だった大森氏の末裔大森下総守泰次は江戸初期にこの寒川の地に住んでいた。その家老に秋元金平という神仏への信心が深く忠勤な者がいたが子どもがいなかった。それを憂いた泰次は金平に自分の息子を継がせ、さらに地蔵堂も建て安産子育て車地蔵を祀った。供車(ともぐるま)に乗る珍しい姿の車地蔵で、そのご利益は子孫繁栄や一族に車輪の如く幸福が何度も訪れるという。その後金平は子宝にも恵まれ幸福な日々を送ったのでその信仰は人々の間に流布した。
その後お堂は荒廃し地蔵尊は預け先の日向薬師で焼失した。しかし地元の人々の努力で昭和十一年に新しいお堂と尊像が建立され、現在は泰次開基の名刹生往寺(しょうおうじ)住職が供養しており、毎月二十四日に開帳している。(都合により中止の場合あり)
小田原城奪取を夢見てこの地で息をひそめ暮らした大森泰次だったが、その願いはかなわなかった。しかし秋元金平という忠勤な家来を得て彼は生涯幸せだったのだろう。金平こそ車地蔵の仮の姿だったのではないだろうか。
キャプション:写真提供 生往寺