続・湘南のお地蔵さま(90)『富士山開闢輿樗(かいびゃくきやり)地蔵』
2024年6月7日 (江ノ電沿線新聞)
続・湘南のお地蔵さま(90)『富士山開闢輿樗(かいびゃくきやり)地蔵』
横須賀市 武 中島淳一
横須賀駅よりバスに乗り一騎塚で下車。すぐ南側の緑の丘が一騎塚で、鎌倉時代の和田合戦で義盛に加勢するためこの地からただ一騎鎌倉に向かい戦死した武者の魂を弔うため築かれたと伝わる。庚申供養塔や聖徳太子塔など多くの石造物が祀られる。
その中に富士山開闢輿樗地蔵も祀られるが、先の尖った角柱に地蔵尊が半肉彫りされ、椅子に座り頭光(ずこう)をつけ、右手に錫杖左手に宝珠を持ち左足を少し踏み下げる。角柱上部には大きな富士山と雲台に乗った日と月が表され「富士山開闢」「輿樗地蔵尊」の文字が刻まれる。この地蔵塔は江戸時代、富士登山の許されなかった女性や体力のない老人が、そのかわりに参拝したもののようである。
輿樗地蔵の名前だが、信仰の地として富士山を開いた(開闢)と伝わる役行者が、幾多の神々と共に輿に乗り木遣音頭と「六根清浄」を唱えて登山し、須走口で地蔵尊が現れお堂(東岳院)を建て自らを祀るよう役行者に伝え、今も輿樗地蔵さんの名で親しまれている。
どの時代も霊峰富士への憧れと恐れは尽きないが、このような地蔵尊と富士山とのコラボは新鮮で、ほとけであるお地蔵さまが何故か神々しく見えるのは富士山の持つ霊力ゆえなのだろうか。