ぶらり 西俣野北部
2024年10月24日 (B.Stone)
境川の中流域は川をまたぐ野原、あるいは川が分かれている場所の意味から俣野と呼ばれていました。現在も西俣野の対岸は横浜市戸塚区の俣野や東俣野になります。川沿いの沖積地や西側の俣野原と呼ばれる台地には田畑が多く農業が盛んですが、小栗判官伝承にまつわる史跡も見ることができます。
境川沿いでは米作りが盛んです。対岸の高い建物は横浜薬科大学で、かつて横浜ドリームランドがあったところです。
川沿いの十王堂跡には閻魔堂がありました。小栗伝承の照手姫の墓なども残っています。
台地の麓にある花應院には閻魔堂から移されたといわれる閻魔大王が祀られています。
県道403号線にある小栗塚の碑です。ここに小栗判官が埋められ、閻魔大王の計らいで道路向かいの土震塚で蘇生したと言われています。
瞽女淵と呼ばれるこの付近は、明治42年に耕地整理が行われるまで頻繁に境川の氾濫が繰り返された場所でした。
参考:藤沢の地名 日本地名研究所編 発行/藤沢市
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