続・湘南のお地蔵さま(98)『玉縄首塚の六地蔵』
2025年2月7日 (江ノ電沿線新聞)

続・湘南のお地蔵さま(98)『玉縄首塚の六地蔵』
鎌倉市 岡本 中島淳一
大船駅西口から柏尾川沿いに五百メートル程藤沢方面へ行くと、戸部橋近くに玉縄首塚がある。その一キロ程西方には室町時代の築城と伝わる玉縄城があり、一五二六年に安房の里見氏が鎌倉を攻めた時に、北条早雲の次男で城主の氏時はこの地で里見勢を退却させた。しかし両軍に多くの戦死者が出て、氏時側も武将甘糟氏以下三十五人が亡くなった。その後双方の首を交換し、この地の榎の下に葬ったのがこの首塚だという。
現在この場所にはその由来を記す大きな二基の石碑や供養塔などが安置されるが、その中に立派な屋根を伴った六地蔵が祀られる。造立されたのは昭和に入ってからのようだが、見事な彫技で力量のある石工の作である。関東大震災の被害者供養のための造立とも伝わる。
寺や墓地で出会う六地蔵とは、お地蔵さまが我が身を六つに裂いて、人が死後閻魔王の裁きにより生まれ変わる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)各々に棲み、もれなく人々を救うのである。
人は死後「生まれ変わる」と共に「死に変わる」という運命も併せ持つ。この地で戦死した武者たちも、六地蔵の慈悲により、苦しみの少ない世界へ生まれ変わる運命を与えられたのであろう。