歴史探訪55:管を用いて鍼をさす「管鍼術」を創始した杉山検校(けんぎょう)
2025年4月2日 (itazu)
「江の島弁財天」道標
遊行橋の袂に石柱の「江の島弁財天」道標があります。
「江の島弁財天」道標は、管を用いて鍼をさす管鍼術(かんしんじゅつ)を江の島で考案した杉山検校(杉山和一、1610-1694)が寄進したといわれます。角柱型の道標の正面には、弁財天を著す梵字の下に「ゑのしま道」、右側面に「一切衆生」、左側面に「二世安楽」と彫られ、江の島弁財天への道をたどるすべての人の現世・来世での安穏・極楽への願いが込められています。現在、市内に十数基あり、うち十二基が藤沢市の重要文化財に指定されています。

杉山検校は管鍼術を創始
杉山検校(杉山和一)は、江戸時代の鍼灸師で、視覚障害者教育の先駆者として知られています。彼と江の島の関係は、彼が江の島弁財天を信仰し、修行を行ったことに由来します。
杉山検校(伊勢の津出身)は若い頃に失明し、その後、鍼灸の道を志しました。彼は江の島弁財天の祠にこもり、断食修行を行った際に、鍼治療(はりちりょう)の新しい技法である「管鍼法」の着想を得たと伝えられています。この方法は、管を用いて鍼を刺す技術で、現在でも鍼灸の一つの技法として知られています。
将軍徳川綱吉の病を治した功績により、「扶持検校(ふちけんぎょう)」として召し抱えられ屋敷(江戸本所一ツ目)を与えられています。
「関東総検校」として、鍼治講習所を設けて後進の指導にあたりました。

(ウィキペディア「杉山和一」より転載)
江の島弁財天の信仰が篤かった杉山検校
江の島の西浦墓苑に杉山の墓があります。
杉山検校は江の島弁財天の信仰が篤く、下ノ宮を社殿の改修など行い、冒頭で紹介したように、
江の島弁財天への信仰を広めるため、江の島道沿いに「江の島弁財天」道標を建てました。
これらの道標は、視覚障害者にも分かりやすいように深く彫られており、彼の配慮が感じられます。
歌川広重の「東海道五十三次内、藤澤」に描かれている座頭(ざとう)
歌川広重の「東海道五十三次内、藤澤」には、一列に数珠つなぎに歩いている座頭(盲人で按摩や貼治療を業とした)が描かれ、境川を渡って遊行通りから江の島街道へゆこうとしています。
「元禄」以降、杉山検校の徳にあやかりたいと、江の島へ参詣する座頭や盲目の鍼灸師がたくさんいたといわれます。こうした人々のために「江の島弁財天」道標が建てられました。


(ウィキペディア「藤沢宿」より転載)
検校(けんぎょう)について
検校(けんぎょう)は、日本の伝統的な職位の一つで、特に盲人の社会的地位を示すものとして有名です。この職位は、江戸時代の「当道座(とうどうざ)」という盲人を保護する職能組織の中で、最高位として位置づけられていました。当道座は盲人が専門技能を活かして社会に貢献し、生活を立てる仕組みを提供したもので、音楽(特に琵琶や琴)、鍼灸、あん摩、金融業などが主な活動領域でした。
筝曲の八橋検校、国学者の群書類従を出版した塙保己一、金融業の鳥山検校などが有名です。
藤沢では、杉山の墓の他、筝曲「江島」を作った山田検校の像、顕彰碑が奥津之宮にあります。
参照資料)「藤沢―わがまちのあゆみ」(藤沢市文書館)「歴史を歩く深堀り神奈川」(PHP文庫)、Whikipedia 他

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