ぶらり 羽鳥東部
2025年12月24日 (B.Stone)
羽鳥は辻堂駅の北東に位置し、江戸時代には羽鳥村という一つの村でした。地名の由来は鶴が舞い遊んでいたからとも、機織りをするハトリベがいたからとも言われています。村の中心は羽鳥東部の御霊(ごれい)神社周辺でしたが、以前は梅林が点在して広い作業場のある農家が建ち並んでいたこのあたりも、今はほとんどが住宅になっています。

もとは鎌倉権五郎景正の霊を祀ったといわれる御霊神社です。神社の梵鐘には鎌倉時代に鋳造されたとの銘が刻まれています。

羽鳥には吉田茂も学んだ相州一の高等学府といわれた耕余塾がありました。汲田墓地には耕余塾を開いた小笠原東陽の墓があります。

旧東海道沿いには女性の願いを叶えてくれるというおしゃれ地蔵があります。

羽鳥の東側には引地川が流れています。鶴ならぬサギが舞い降りていました。

羽鳥の4丁目と5丁目の境になる桜新道には「湘南台」というバス停があります。
参考:藤沢の地名 日本地名研究所編 発行/藤沢市
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