鎌倉海浜公園の少年像稲村ヶ崎の鎌倉海浜公園に、逗子開成中学校のボート遭難事件の犠牲者を弔う少年の立像が建っています。
鎌倉海浜公園の少年像と小説「七里ヶ浜」
2017年09月06日 (Tanbakko)
稲村ヶ崎の鎌倉海浜公園に、逗子開成中学校のボート遭難事件の犠牲者を弔う少年の立像が建っています。犠牲者の55年忌と開校60周年を記念して、1964年に建立されたものです。
ボート遭難事件の犠牲者を弔う少年像
明治43年1月に起こった逗子開成中学校のボート遭難事件は、事件の悲劇をうたった「真白き富士の嶺 緑の江の島」という歌詞の「七里ヶ浜の哀歌」で一躍有名になりました。「七里ヶ浜の哀歌」の作詞者は、逗子開成中学校の兄妹校である鎌倉女学校の教師・三角錫子でした。
ボート遭難の碑(鎌倉海浜公園稲村ヶ崎地区)
宮内寒彌の小説「七里が浜」に、三角錫子と作者の父をめぐるエピソードが書かれています。
小説家・宮内寒彌の父親は、遭難事件があった当時、逗子開成中学に赴任したばかりの地理・歴史の教師で舎監でもありました。事件のあった日は、転任する同僚を見送りに鎌倉に行きました。その留守中に、舎監・生徒監など学校側の許可を得ないで12人の学生がボ-トを出艇して遭難してしまったのでした。
父親の同僚が事件当日鎌倉で食事をしながら、結婚相手にどうかと持ち込んできた相手が三角錫子でした。宮内寒彌は小説「七里が浜」でそのことを明らかにしています。
父親は、事故の責任をとって逗子開成中学校教諭の職を辞しています。
稲村ヶ崎から眺める江の島と富士山
「七里ヶ浜」のなかで宮内寒彌は遭難現場について次のように描いています。
『遭難現場は風光明媚な七里ヶ浜沖合の相模湾であり、時は冬なので彼方に見える霊峰富士は白雪をいただき、近くに見える江の島は常緑樹の緑に冴えている(宮内寒彌「七里ヶ浜」P182余話「真白き富士の嶺」より)。』
「中央高地」という作品で第2回芥川賞候補になった宮内寒彌ですが、流行作家には程遠い地味な作家でした。
父親の没後20年を経て、1978年に小説「七里ヶ浜」を世に出した宮内寒彌は、この作品で「平林たい子賞」を受賞しました。
小説「七里ヶ浜」はすでに絶版となっているようですが、藤沢市総合市民図書館に3冊所蔵されています。
2018年5月20日