河内地蔵 平塚駅北口から十五分程でバス停山下団地前に着く。新道に面した大型ハンバーガー店の前でバスから降りると、優しいまなざしで・・・
続・湘南のお地蔵さま-15 『河内地蔵』
2018年3月2日 (記事:江ノ電沿線新聞3月号)
『河内地蔵』 平塚市 河内 中島淳一
河内(こうち)地蔵
平塚駅北口から十五分程でバス停山下団地前に着く。
新道に面した大型ハンバーガー店の前でバスから降りると、優しいまなざしで出迎えてくれるのが、この地の名前を持つ河内(こうち)地蔵である。
右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、左足を踏み下げる半跏趺坐(はんかふざ)の形をとる。お顔の後ろには立派な円光背を付け、蓮台・敷茄子(しきなす)まで同じ石から彫出しているが、衣文の流れは適確で、かつしなやかさも伴う。その凛々しい表情と考え合わせても、一流の石工の作であることがわかる。
この地蔵尊は江戸時代宝暦五年(一七五五)に、代々この地に居住する旧家の方が先祖の供養と、当時の河内村(江戸後期の記録では村の戸数は二九戸)の繁栄、そして道行く人々に災いが起らぬように、との願いで建立されたという。
ふつうお地蔵さまは人々が行き交う道に面して建立されることが多いが、何故かこの地蔵はそうではない。その理由は、江戸時代この辺りに〝大磯道〟という主要道が通っており、その道との位置関係からではないかとも考えられている。
いつ参拝しても美しい花が飾られ、この地の名前を一身に背負うお地蔵さまへの愛着と感謝の気持ちを感じずにはいられない。
新道に面した大型ハンバーガー店の前でバスから降りると、優しいまなざしで出迎えてくれるのが、この地の名前を持つ河内(こうち)地蔵である。
右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、左足を踏み下げる半跏趺坐(はんかふざ)の形をとる。お顔の後ろには立派な円光背を付け、蓮台・敷茄子(しきなす)まで同じ石から彫出しているが、衣文の流れは適確で、かつしなやかさも伴う。その凛々しい表情と考え合わせても、一流の石工の作であることがわかる。
この地蔵尊は江戸時代宝暦五年(一七五五)に、代々この地に居住する旧家の方が先祖の供養と、当時の河内村(江戸後期の記録では村の戸数は二九戸)の繁栄、そして道行く人々に災いが起らぬように、との願いで建立されたという。
ふつうお地蔵さまは人々が行き交う道に面して建立されることが多いが、何故かこの地蔵はそうではない。その理由は、江戸時代この辺りに〝大磯道〟という主要道が通っており、その道との位置関係からではないかとも考えられている。
いつ参拝しても美しい花が飾られ、この地の名前を一身に背負うお地蔵さまへの愛着と感謝の気持ちを感じずにはいられない。
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2018年5月8日