吉三地蔵 小田原駅東口を出て大通りを南へ二十分程行くと、御幸(みゆき)の浜という美しい海岸に出る。その途中には城下町の名に相応しい・・・
吉三地蔵
2018年04月02日 (記事:江ノ電沿線新聞4月号)
『吉三地蔵』 小田原市 本町 中島淳一
小田原駅東口を出て大通りを南へ二十分程行くと、御幸(みゆき)の浜という美しい海岸に出る。その途中には城下町の名に相応しい風格ある商店が今も残り、「街かど博物館」の名で親しまれている。
その一角に曹洞宗徳常院がある。室町時代に海中より出現したという虚空蔵(こくうぞう)菩薩を本尊とし、白亜の本堂が目を引くが、その右手に立派な地蔵堂があり、吉三(きちざ)地蔵が安置される。正式には福徳延命地蔵と呼ばれ、像高が二・五メートルを超える銅製の大きな像で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、円光背を付けて左足を踏み下げる姿のお地蔵さまである。
元々は元箱根の芦ノ湖畔に祀られていた。しかし明治維新の混乱によりこの浜まで運ばれたが、善良な人々の住むこの町と縁を結び、ここが安住の地となる。
吉三地蔵の名は、あの八百屋お七の菩提を弔うために恋人吉三郎が建立したという伝承に由来するが、蓮台やお体に数多く残る刻銘から、正徳三年(一七一三)に江戸増上寺塔頭の僧侶の発願と多くの人々の浄財により、鋳物師太田正義(有名な江戸六地蔵と同じ作者)によって造像された。
このお地蔵さまも関東大震災の時には猛火に包まれたが、変わらぬ姿を今に残す。そして八百屋お七の愛する吉三郎への燃ゆる思いも、この地蔵の名として今に残る。
その一角に曹洞宗徳常院がある。室町時代に海中より出現したという虚空蔵(こくうぞう)菩薩を本尊とし、白亜の本堂が目を引くが、その右手に立派な地蔵堂があり、吉三(きちざ)地蔵が安置される。正式には福徳延命地蔵と呼ばれ、像高が二・五メートルを超える銅製の大きな像で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、円光背を付けて左足を踏み下げる姿のお地蔵さまである。
元々は元箱根の芦ノ湖畔に祀られていた。しかし明治維新の混乱によりこの浜まで運ばれたが、善良な人々の住むこの町と縁を結び、ここが安住の地となる。
吉三地蔵の名は、あの八百屋お七の菩提を弔うために恋人吉三郎が建立したという伝承に由来するが、蓮台やお体に数多く残る刻銘から、正徳三年(一七一三)に江戸増上寺塔頭の僧侶の発願と多くの人々の浄財により、鋳物師太田正義(有名な江戸六地蔵と同じ作者)によって造像された。
このお地蔵さまも関東大震災の時には猛火に包まれたが、変わらぬ姿を今に残す。そして八百屋お七の愛する吉三郎への燃ゆる思いも、この地蔵の名として今に残る。
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2018年5月8日