「生き地蔵」 大和市の「生き地蔵」初めてその名を耳にした時はさすがに驚いたが、お会いするととてもやさしいお顔の石のお地蔵さまで正直ほっとした。
続・湘南のお地蔵さま(18)『生き地蔵』
2018年6月1日 (記事:江ノ電沿線新聞 6月号)
『生き地蔵』大和市 下鶴間 中島淳一
今回紹介するお地蔵さまは、藤沢市に隣接する大和市の「生き地蔵」。初めてその名を耳にした時は私もさすがに驚いたが、お会いすると、とてもやさしいお顔の石のお地蔵さまで正直ほっとした。
小田急線鶴間駅東口からバス停下鶴間に向かう。途中大通りを左折し狭い道に入るが、この道は東海道の脇街道でもある矢倉沢往還(大山街道)で、下鶴間はその宿場として栄え、江戸時代の有名な画家で蘭学者の渡辺崋山も天保二年(一八三一)この地に宿泊している。
バス停近くの高台に浄土宗の名刹鶴林寺(かくりんじ)があり、その本堂横にこの地蔵は祀られるが、この寺は室町時代末の永禄十二年(一五六九)に当地の代官であった瀬沼家(境内に一族の大きな墓所を持つ)により建立された。
生き地蔵の名の由来だが、瀬沼家の瀬沼崇信(たかのぶ)が俗人ながら仏道修行に励み、生きたまま地中に入り享和三年(一八〇三)に即身仏となった。その菩提を弔い、今も生きるが如く地中に眠ると伝わる崇信を供養するためこの地蔵尊が建立されたという。崇信には死後「権律師(ごんのりっし)」という僧侶の尊号が与えられた。
暗闇の中で読経と共に静かに (りん)を叩き、その音が途絶えた時に崇信は仏となった。生き地蔵のやさしいお顔は、仏となった崇信のお顔そのものなのであろう。
小田急線鶴間駅東口からバス停下鶴間に向かう。途中大通りを左折し狭い道に入るが、この道は東海道の脇街道でもある矢倉沢往還(大山街道)で、下鶴間はその宿場として栄え、江戸時代の有名な画家で蘭学者の渡辺崋山も天保二年(一八三一)この地に宿泊している。
バス停近くの高台に浄土宗の名刹鶴林寺(かくりんじ)があり、その本堂横にこの地蔵は祀られるが、この寺は室町時代末の永禄十二年(一五六九)に当地の代官であった瀬沼家(境内に一族の大きな墓所を持つ)により建立された。
生き地蔵の名の由来だが、瀬沼家の瀬沼崇信(たかのぶ)が俗人ながら仏道修行に励み、生きたまま地中に入り享和三年(一八〇三)に即身仏となった。その菩提を弔い、今も生きるが如く地中に眠ると伝わる崇信を供養するためこの地蔵尊が建立されたという。崇信には死後「権律師(ごんのりっし)」という僧侶の尊号が与えられた。
暗闇の中で読経と共に静かに (りん)を叩き、その音が途絶えた時に崇信は仏となった。生き地蔵のやさしいお顔は、仏となった崇信のお顔そのものなのであろう。
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2018年06月03日