湘南の西行
①大磯の鴫立庵 ②茅ケ崎の歌碑 ③辻堂の歌碑、④藤沢の西行もどりの松
相模国大庭の砥上原(とがみがはら)を過ぎるとき、野を立ち込めた霧の絶え間から、風に乗って鹿の鳴く声が聞こえてきたので
えは迷ふ葛の繁みに妻籠めて砥上原に牡鹿鳴くなり←(A)
その夕暮れ、沢辺の鴫がとびたつ羽音がしたので
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮←(B)
大庭の砥上原(とがみがはら)というのは、現在の藤沢市鵠沼付近で片瀬川西岸の原野を指すが、西行物語は、西行の生涯を虚実とりまぜて実録楓に書いた説話物語であり、どこで詠んだか、砥上原から鴫立沢へ至る場所が必ずしも特定されていない。
湘南の西行のゆかりの場所も、大磯、茅ヶ崎、辻堂、鵠沼の4か所に分散している。
注:(A)の歌は、えは迷ふ(西行物語)→芝まとふ(茅ヶ崎)→柴松の(辻堂)と表現が異なっている。
①大磯の鴫立沢
諸国をめぐる旅の中で大磯を訪れたとされ、「新古今和歌集」において「三夕の歌」といわれるうちの一首を詠んだといわれています。
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮
(新古今和歌集の寂連、西行、定家の三人の歌が、「秋の夕暮れ」で終わることから「三夕(さんせき)の歌」と呼ばれる)
②茅ケ崎の歌碑
芝まとふ葛のしげみに妻籠めて砥上ケ原に牡鹿鳴くなり
③辻堂の歌碑
柴松の葛のしげみに妻こめてとなみが原に牡鹿鳴くなり
④藤沢の西行もどりの松
「鴫立つ沢」に関する説話は、西行物語と同時期に書かれた説話物語「今(いま)物語」にもある。
陸奥国への旅の途中「千載集」撰進(歌集などを天皇に奉ずる)の話を聞き「鴫立つ沢」の歌の入集を案じたが、入集せずと聞いて旅に戻る
という話があり、これが、西行が歌問答で子供(実は神)に言い負かされて退散するという「西行もどりの松」の伝承のもとになっている。「西行戻し」は和歌の世界を脱け出そうとして出来ない西行を語る伝承として、全国にもあちらこちらにある。
この伝承がこの場所にもあることについて、西行物語(桑原博史 全訳注)の解説では、「鴫立つ沢」の歌が読まれた場所が、砥上原(とがみがはら)のここではななかったかと、場所を特定する意味があったのではないかと言われている。
以上の記述は、それぞれゆかりの地の案内板と下記2冊を参照。
●西行物語(桑原博史 全訳注)講談社学術文庫
●西行(西澤美仁編)角川文庫
尚、蛇足ながら、鴫立庵には、崇雪が草庵を結んだ時に鴫立沢の標石を建て、<著儘湘南清絶地>と刻んだことから、「湘南」の名称発祥の地といわれる。 西行と湘南には、意外な結びつきがあった。