「藤沢今昔」(1)藤沢駅南口
「昭和の藤沢」の写真と現在の様子を撮った写真を対比して、シリーズで紹介します。
目次 「藤沢今昔」 ~藤沢駅南口 地下道周辺~ | | 「昭和の藤沢」の写真と現在の様子を撮った写真を対比して、シリーズで紹介します。藤沢のアマチュア写真家・故渡邊廣さんは昭和18年に横浜から藤沢に移り住み、記録写真にこだわって撮影を続けてきました。写真歴はなんと73年。「昭和の藤沢」から渡邊さんが撮った写真と記述をお借りし、その写真と出来るだけ同じアングルで現在の様子を撮影しました。少し遠くなった昭和を思い浮かべて、藤沢の移り変わりを見てみましょう。 (写真集はふじさわガイドメニュー「昭和の藤沢」からご覧いただけます。) |
| 昭和37年7月 藤沢駅南口 開かずの踏み切り
| 昭和37年 当時、東海道線の本数はまだあまり多くなかったが、貨物列車が着き、貨物の入れ替えなどが始まると、長い時間踏切が閉まったままになり、人々は北と南の行き来が滞り、「開かずの踏み切り」と呼んでいました。 昭和38年になると、日本は 東京オリンピックの開催に向けて、各地道路の整備事業が始まりました。 湘南地区も各地で建物・道路など整備が計画されました。踏み切り付近も混雑の解消に向けて、踏み切りの位置に藤沢駅地下道が建設されることになりました。 | 藤沢駅地下道 昭和37年6月工事に着工。同時にJR藤沢駅仮跨線橋も完成し 藤沢駅周辺の整備が始まりました。 昭和40年、JR地下道が開通し(9月1日)藤沢駅北口と南口の人の流れはスムーズになりました。 駅周辺の整備により、周辺はビル建設ブームになりました。 北口にもさいか屋が開店しました。
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| 昭和39年12月 藤沢駅南口 商店街 | 昭和37年12月、藤沢駅南口商店街は不幸にも火災により消失しました。各商店は、直ちに仮設の建物をたて、歳末の売出しを始めました。 昭和39年、東京オリンピック開催により藤沢駅周辺も開発がすすみ、駅前の商店街も、地元みのる百貨店、美栄堂内の商店も一丸となって三山ビル建設がスタートしました。これが現在の名店ビルとなっています。 | |
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注)写真は現在の様子を追加更新しました。 (初掲載2009-02-06・更新2019-10-09)
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。
2019年10月07日