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「藤沢今昔」(4)片瀬東浜海岸周辺
「藤沢今昔」シリーズの第4回目は、江の島片瀬海岸周辺の移り変わりを見てみましょう。 今回は片瀬東浜、洲鼻通り入り口から江の島弁天橋への入り口付近です。 なお藤沢のアマチュア写真家・故渡邊廣さんが撮った写真と記述を参照させていただいております。 片瀬江の島海岸は「東洋のマイアミ」をキャッチフレーズにしていた関係で、昭和33年藤沢市はアメリカのマイアミ市に姉妹都市提携を申し入れることになり、翌34年提携が実現しました。この年の7月から8月にかけては「江の島マイアミビーチショウ」が盛大に行われ、片瀬江の島海岸は大勢の人でにぎわいました。藤沢市が海水浴客の集計を始めた昭和51年以降、平成時代になるまでは昭和60年が512万人で一番多く、昭和55年が190万6300人で最低でしたが、昭和55年前後が300万人前後であったことから、天候が影響したと見られています。藤沢市観光協会の調べでは、平成元年の東浜/西浜の海水浴客(7月~8月)の人出は約288万人、平成13年は約177万人に落ち込んだが、その後序々に回復し、平成19年は約432万人に増加しています。 昭和35年7月(東浜海水浴場) 平成21年5月撮影 令和2年1月撮影 昭和36年3月(R134へ合流地点) 平成21年5月撮影 令和2年1月撮影 昭和35年5月(東浜海水浴場歩道) 平成21年5月撮影 令和2年1月撮影 昭和35年5月(洲鼻通入口前広場) 平成21年5月撮影 令和2年1月撮影 昭和35年5月(江の島弁天橋入り口) 平成21年5月撮影 令和2年1月撮影 (初掲載 2009-05-14・更新 2020-1-15)
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