湘南のお地蔵さま『勝軍地蔵』
横須賀市西徳寺のもう一体のお地蔵さま。「勝軍地蔵」は地蔵の変化身であり、日本で考え出された地蔵尊のようである。
横須賀市西徳寺のもう一体のお地蔵さま。「勝軍地蔵」は地蔵の変化身であり、日本で考え出された地蔵尊のようである。
続・湘南のお地蔵さま(37)『勝軍地蔵』
2020年1月10日 (江ノ電沿線新聞)
横須賀市 鴨居 中島淳一
『勝軍地蔵』
今回は先に紹介した横須賀市西徳寺のもう一体のお地蔵さまを紹介する。その名前を勝軍(将軍)地蔵といい、本堂内に安置される大変珍しいお姿のお地蔵さまである。
木造で右手に錫杖左手に宝珠を持つのは通例のお姿と同じだが、頭には兜を戴きお体には甲冑を着け、岩座上に立つ馬に乗っているのである。全体の高さが二十一・五センチの小像ながら彫技は緻密で、彩色も細かく非常に丁寧である。この「勝軍地蔵」は地蔵の変化身であり、作例こそ少ないが全国に点在する像で、日本で考え出された地蔵尊のようである。その姿から戦勝を祈願する本尊として祀られ、多くの武将たちが信仰していたと伝えられる。また火伏(ひぶせ)の神として全国に鎮座する愛宕(あたご)神社の御祭神の本地仏(ほんじぶつ)、すなわち仏としての祭神の本来の姿としても知られている。
何故この姿となったのかは定かでないが、戦場での奇跡的な勝利を武将たちが地蔵に求めたがゆえの姿なのであろう。ただ目に見えぬ「慈悲」の甲冑を日々身にまとうお地蔵さまにとって、この勝軍地蔵の厳(いか)めしい姿は少々迷惑な気がしてならない。(非公開のため拝観はできません)
木造で右手に錫杖左手に宝珠を持つのは通例のお姿と同じだが、頭には兜を戴きお体には甲冑を着け、岩座上に立つ馬に乗っているのである。全体の高さが二十一・五センチの小像ながら彫技は緻密で、彩色も細かく非常に丁寧である。この「勝軍地蔵」は地蔵の変化身であり、作例こそ少ないが全国に点在する像で、日本で考え出された地蔵尊のようである。その姿から戦勝を祈願する本尊として祀られ、多くの武将たちが信仰していたと伝えられる。また火伏(ひぶせ)の神として全国に鎮座する愛宕(あたご)神社の御祭神の本地仏(ほんじぶつ)、すなわち仏としての祭神の本来の姿としても知られている。
何故この姿となったのかは定かでないが、戦場での奇跡的な勝利を武将たちが地蔵に求めたがゆえの姿なのであろう。ただ目に見えぬ「慈悲」の甲冑を日々身にまとうお地蔵さまにとって、この勝軍地蔵の厳(いか)めしい姿は少々迷惑な気がしてならない。(非公開のため拝観はできません)
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年1月15日