小田急今昔(3)ー長後駅長後駅は1929年4月1日の江ノ島線開通に伴い新長後として開設され、1958年4月1日に長後に改称されました。
小田急江ノ島線開通90年今昔(3)ー長後駅ー |
長後駅西口2010年
2020年
長後駅は小田急江ノ島線内藤沢市の最初の駅です。1929年4月1日の江ノ島線開通に開設された駅で、最初は「新長後」と命名されていましたが、1958年4月1日に「長後」に改称されて現在に至っています。長後駅にはホームが4本あり、快速急行・特急の通過退避駅としての役割があります。乗降客は1989年から減少しています。 |
1.駅名の由来 |
渋谷庄の長後は高座郡の長であったらしく「長郷」が長後になったと言う説と、入道した領主の渋谷重国が長後坊と名乗ったのに由来するとの二説があります。1282(弘安5)年に一遍上人が鎌倉入りのとき「ながさご」の地に三泊した記録がありますが、これは長後のことでしょう。長後駅西口を出て右手に行くと四つ角に仙元塚(富士塚)の碑があります。その前を南に走るのが大山道で、約1キロ先の永明寺のあたりが昔の長後村の本村でした。 仙元塚(富士塚と永明寺入口 仙元塚を右方向に向かい小田急線長後駅新宿より踏切を渡った先の十時路が八王子道と大山道の追分で宿駅を形成していた。 長後駅新宿側踏切と大山道と八王子道の追分 |
一方、駅の地籍は、六会村大字下土棚である。このように複雑な場所なので、駅名をつけるには、気を使い、地元と話し合った末、長後の名を採用、ただし頭に「新」の字を冠した。その後、六会、長後とも藤沢市に吸収されたのですっきり「長後」になった。 |
1952年(S27)のホームと2010年(H22)のホーム *1952年の写真と2010年を比較した写真です。ホームの屋根も安全装置も整備され快適になっています。また、東口はバスロータリーが2007年ごろに全面整備され、西口よりも広く全体にアクセスが改善されています。 |
西口バスロータリーと東口バスロータリー *3 乗降客の推移 10年毎の乗降客の推移を見ると1989年をピークに少しずつ減少の状態で、全体増加の傾向に対して長後駅は減少しています。 ※ 長後駅は、かつては多くのバスが発着する急行停車駅として藤沢市北部の交通の中心でした。現在でも御所見、用田方面へのバスは長後駅から発着していますが、相模鉄道と横浜市営地下鉄が隣の湘南台駅に乗入れたために、今では交通の中心は湘南台駅に移っています。また、現在では急行が朝夕限定となったため、日中時間帯は各駅停車のみとなっています。 |
長後駅周辺は、駅に降り立ち10分も歩くと大規模な果樹園、野菜畑、田んぼ等があります。このため、秋の収穫シーズンには果物を買い求めるお客さんで賑わいます。藤沢市の地産地消をさらに振興することによって、地元の長後商店街も含めて地域の活性化が図れる要素があるのではないかと期待されます。 (参考文献 小田急株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。) |
(市民記者 TOMU 2010年2月 更新2020年2月*の箇所 大石) |
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年2月27日