続・湘南のお地蔵さま(39)『そうめん地蔵』
2020年3月9日 (江ノ電沿線新聞)
続・湘南のお地蔵さま(39)『そうめん地蔵』
『そうめん地蔵』
横須賀市 吉井 中島淳一
横須賀市 吉井 中島淳一
『そうめん地蔵』 京急久里浜駅で湘南山手行きのバスに乗り吉井で降りる。道路を渡り手前の道を入ると法善寺という寺があり、その少し先の高台に浄土宗眞福寺がある。この寺は室町時代後期の創建と伝わり、三浦三十三観音霊場の札所でもある。
本尊は阿弥陀三尊像で、同じ本堂内に像高八十センチ程の地蔵菩薩立像が祀られる。一木造で彫眼、右手に錫杖(欠失)左手に宝珠を持つお姿で、寺伝では「そうめん地蔵」と呼ばれている。同名の地蔵の話は、あの「日本昔ばなし」にも登場するので紹介したい。
ある旅の僧が空腹に耐えかね、日光の某寺で素麺を一杯だけ所望したが意地悪な寺の者にいっぱい食べさせられ困っていた。すると一人の僧が現れ、その素麺を全部食べ尽し彼を助けたが、その僧は彼の寺の地蔵だったという話である。
その地蔵がなぜ眞福寺に祀られるのかは謎だが、確かに地蔵の前には地元の方が供えた素麺の束が置かれていた。また江戸時代末期に書かれた三浦半島の地誌『三浦古尋録(こじんろく)』には、寝る時に地蔵に向けた足が夜中に正反対を向いてしまうことから「枕返し地蔵」の名で紹介されている。
微笑ましくまた人間味あふれるふたつの地蔵伝承が永遠に語り継がれるよう、心より祈りたい。(非公開のため拝観できません)
本尊は阿弥陀三尊像で、同じ本堂内に像高八十センチ程の地蔵菩薩立像が祀られる。一木造で彫眼、右手に錫杖(欠失)左手に宝珠を持つお姿で、寺伝では「そうめん地蔵」と呼ばれている。同名の地蔵の話は、あの「日本昔ばなし」にも登場するので紹介したい。
ある旅の僧が空腹に耐えかね、日光の某寺で素麺を一杯だけ所望したが意地悪な寺の者にいっぱい食べさせられ困っていた。すると一人の僧が現れ、その素麺を全部食べ尽し彼を助けたが、その僧は彼の寺の地蔵だったという話である。
その地蔵がなぜ眞福寺に祀られるのかは謎だが、確かに地蔵の前には地元の方が供えた素麺の束が置かれていた。また江戸時代末期に書かれた三浦半島の地誌『三浦古尋録(こじんろく)』には、寝る時に地蔵に向けた足が夜中に正反対を向いてしまうことから「枕返し地蔵」の名で紹介されている。
微笑ましくまた人間味あふれるふたつの地蔵伝承が永遠に語り継がれるよう、心より祈りたい。(非公開のため拝観できません)
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。 2020年3月5日