「藤沢今昔」(9) 大庭地区 「藤沢今昔」シリーズ、9回目は大庭地区です。
目次 「藤沢今昔」~大庭地区~ |
「藤沢今昔」シリーズ第9回目は、大庭地区を取り上げました。昭和の写真は、藤沢市文書館から提供いただきました。 |
大庭の土地環境 相模原台地の南側に位置するこの地域は、東側を引地川に、西側を小出川や相模川によって浸食されている。大庭地区はおおむね引地川水系に属し、支流の小出川がこの地区の北部を北西から南東に流れる。遠藤地区はこの地区を水源とする小出川によって樹枝状に刻まれた谷戸を持っている。 |
大庭の名の由来 927年(延長5年)に書かれた『延喜式』には、この地の鎮守である「大庭神社」が登場。倭名抄にも大庭郷の名が出てくる(倭名抄は、平安時代中期に作られた辞書である)。また、大庭と言うのは本来「神社」と言う意味を持つとも記されている。 |
大庭城址公園 |
昭和30年頃 平成22年4月 平成22年4月 |
令和2年6月 令和2年6月 |
平安時代の末期、この地は大庭御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園であった。この荘園は、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景政(権五郎、景正とも表記)によって開拓され伊勢神宮に寄進されたもので、のち子孫は大庭氏に改姓し、代々治めていた。城を築城したのは大庭景親の父にあたる大庭景宗と言われている。「大庭の舘(たて)」とも呼ばれ、景親らの軍事拠点として重要な役割を果たしたと想定される。現在、戦国時代の大規模な空堀や土塁などが残っており、大庭城址公園として保存されている。周辺は、湘南ライフタウンとして開発されたが、二番構や駒寄など大庭城由来の地名が残っている。豊かな恵みをもたらした引地川の河畔は親水公園として整備され、渡り鳥が飛び交う自然あふれる憩いの場となっている。地形的にも中世の在りし姿が想像できるだけの情景が広がっている。 |
湘南ライフタウン |
昭和30年頃 平成22年4月 平成22年4月 |
令和2年6月 令和2年6月 令和2年6月 |
湘南ライフタウンは、神奈川県藤沢市西部・茅ヶ崎市堤地区の一部にまたがるニュータウンである。藤沢市側の地区名では、「湘南大庭地区」と分類される。この地域は藤沢市の「西部土地区画整理事業」と茅ヶ崎市の「茅ヶ崎都市計画事業堤地区土地区画整理事業」により始められたものである。藤沢市が茅ヶ崎市から委託を受けて実施されたため、実質藤沢市による区画整理事業と見ることができる。総面積は340.74ヘクタール。太い幹線道路に平行して生活道路を配置し、また開発地内の農家はそのまま残していることも特徴である。設計は黒川紀章氏。 |
平成22年4月 平成22年4月 |
令和2年6月 令和2年6月 |
湘南ライフタウンは藤沢市の西部に位置し、緑豊かな丘陵地帯に広がる良好な住環境が魅力の住宅街だ。現在では約3万人もの人々が住まう藤沢市を代表する住宅地に成長を遂げた。計画的に整備された街並みゆえ、自然を身近に感じられるような緑のスポットの数々が計画的に整備されているとともに日々の生活を便利で快適なものにしてくれるさまざまな機能を併せ持った点がこの街の大きな特徴となっている。 |
現在(令和2年)の大庭地区はこの10年の間に新しくミナシア湘南ライフタウンや介護施設ができましたが風景としてはほとんど変わりません。ただ交通手段はJR辻堂駅から慶応大学まで名物の連結バス・ツインライナーが開通して大庭地区も随分便利になりました。 |
(初掲載 2010-05-08 更新2020-06-15yukisan) |